嫌で嫌でしょうがないはずなのに、抵抗できない。
それが恐怖のせいだと沢松は信じたかった。
受け入れる気などさらさらない。
あるのは蛇に睨まれたカエルのような、
逃げる気力さえ根こそぎ奪われてしまうような恐怖。

ちからが、ちからがはいらない

腕っ節とか、筋力とか、そういう意味じゃなくて
猿野に本気で捕らえられると沢松はもう逃げられなくなる。
肌で感じる硬い髪と制服の感触。温かい掌、耳元をかすめる息。
全てが鎖であり刃物だった。

下半身をまさぐっていた手がふいに離れ、沢松がほっと息をついたのも束の間
猿野は下着ごとジャージをずり下ろす。
「! ちょっ−−
沢松が振り返ろうと首を動かした瞬間、肩を痛いくらいに掴まれ、そのまま床に投げ倒された。
声を上げる余裕も無かった。服のからまった沢松の足が、勢いあまって宙を蹴る。
体勢を整える間も与えず沢松の上にのしかかり、かすかに震える肩を掴んで猿野は自分の方をむかせた。
「立てるか沢松?」
沢松の目が猿野を捉え、次の瞬間それは怒りと恐怖でゆがむ。
「じ、自分で突き飛ばしといて、立てるかって、お前」
「ハハッ、じゃあたたせてやるよ」
「な−−−ぅ・・っ」
その言葉へ反論しようと開きかけた沢松の口に、猿野の舌が滑り込んできた。
口内を舌で撫で回しながら、ひざで腰骨のあたりを挟み込む。
それだけも逃げられないのに、肩を掴む猿野の手も、まるで楔のように沢松の体と床とを縫い付けている。
沢松がいくら手首を掴んで引き離そうとしても、びくともしない。
筋力の差の上、体重までかけられて沢松に勝ち目は無かった。
「んっ・・ぐぅ」
自分の舌を使って押し返そうとするも、猿野の舌は押し出されるどころか
器用にそれに絡みついてきて、沢松は嫌悪で呻いた。
ぴちゃ、くちゃという音。
口の端からどちらのものともつかない唾液が頬を伝って、カーペットの一部を色濃くする。

自分の部屋でするのだけは、死んでも嫌だったのに。
学校から帰るたびに、夜ベッドに入るたびに、思い出してしまいそうで。

猿野はそんな沢松の気持ちも考えず、むしろそれが狙いであるように
体を床に、自分の唇を沢松の唇に強く押し付け続けた。
「んぁ・・・はぁ」
やっと解放され、足りない酸素を求めて息をしている沢松の上から猿野が退き
沢松の足に引っかかっていた下着とジャージを取り去る。
沢松はそれに抵抗することも出来ず、息を整えながら上半身を起こすのが精一杯だった。
それを見越していたかのように猿野は沢松の背中を今度はベッドの側面に押さえつける。
「ぃ、てっ!」
背中を打った沢松が苦悶の声をあげるのもお構いなしで
猿野は左手で沢松の右足首を掴んで高く掲げさせる。
「ちょ!何すんだよ、見るな、見るなって!!」
必死の懇願も無視した猿野は丸見えになった沢松の中心を右手で支え、そのまま口に含んだ。
「〜〜〜!!」
感じたことの無い感触が沢松を襲う。
しかしそれが引き出すのは快楽などでなく、尋常じゃない嫌悪と羞恥だけだった。
同性、しかもよく知った親友からの愛撫なんて、まったく気持ちよくない。
「ヤッ、やめろって、なぁ天国!てめ・・いい加減に・・ぅ」
しかし拒絶する沢松の声は猿野の中へ届くことなく薄暗い部屋に拡散してしまう。
やがて猿野の熱い口内から漏れるいろんな音が聞こえ始めた。
くわえ込む猿野の肩を押しても、足を持ち上げられた無理な体勢じゃまったく力が入らない。
しかもそうやって抵抗すればするほど、猿野はじゅ、ぐちゅ、と派手に音を立てて吸う。
「ん・・・ふ」
愛撫のする口の端から漏れる吐息と、ぴちゃ、ぴちゃという水音。
上下する猿野の後頭部を見ながら沢松はその肩を思いっきりぶん殴ろうかとも思ったが、出来なかった。
歯でも立てられたら・・・という思いもあったが、なにより猿野の肩を壊すわけにはいかない。
力任せに猿野の髪をひっぱると、これは少しはダメージがあったのか
「げほ、ってぇ・・・」
猿野は顔を歪めて、むせながらやっと口と両手を離した。
自由になった足を下ろし、力なくうなだれた沢松の視線の先、
自身の先端と猿野の舌先が唾液の糸で繋がっていて、猿野が顔を上げるとその糸が細く伸び、切れた。
正視に堪えないその光景にから沢松は顔を背けたが、猿野はそれを許さず
髪を上の方へ引っ張り、むりやり正面を向かせる。
「いぁ・・!」
視線を合わせたくないのか、恐怖のためか、沢松の瞳はせわしなく動いていた。
その瞳の動きまでも止めようとするように
さらにギリギリ、と、髪を掴む猿野の手には容赦なく力が込められていく。
「い、いてぇ、って!・・ちょっとイタ、痛い・・天国離せ、離して・・っ」
その哀願に髪を掴んでいた手の力が緩み、沢松の体からガクリと力が抜ける。
猿野の手が、糸の切れた操り人形のようにうつむく沢松の頬を滑った。
人指し指で唇をさする、その動きにつられるように沢松の目も移ろい
やがて視線はおずおずと猿野の顔を映す。
沢松の青ざめ乾いた唇とは対照的に、その唇は唾液で濡れている。
ふだん何の意識もしていないその唇の色に、沢松は戸惑い、あえいだ。
さっきまで自分のものを咥えていた唇を見たくない一心で
沢松は猿野の瞳に映る自分の姿を探す。
そこに映る自分の姿は情けなくてとても見れたものじゃなかったけれど
猿野の視線から逃げるには、今はそれしか方法は無いような気がしたから。

そこに映る自分の姿が不意に迫ってきたかと思うと、唇に濡れた感触を感じた。
「あ・・・」
おびえるように触れ、名残惜しそうに離れる唇
そして自分を映す目。それはまるで泣き出す直前のように濡れている。
「天国?」
自分に襲い掛かった劣情の嵐は過ぎ去ったのだと感じた沢松は気遣う声を出したが
猿野はその声から逃げるように顔をそらした。
その横顔を見て思い出す。
猿野がこんな風に暴走するのは、必死で、自分の気持ちを抑えられないときだと。
ともすればあさっての方向へ暴走しそうになる猿野をいさめることを、沢松は幾度となくしてきた。
けれど、こんなことは初めてだった。
暴走した感情が自分に向けられる時がくるなんて、思ってもみなかったのだ。
だからこそ今、沢松はどう対処していいのか分からない。
「・・・なぁ天国。あのときも言ったけど、テキトーな気持ちならこんなコト止めとけ」
受け入れるべきなのか?正すべきなのか?
しかし沢松はそのどちらも拒んだ。願わくば・・・

「オレなら大丈夫だから。許すとかそういうんじゃなくて・・・全部、忘れられるから。な?」

すべて忘れて、今まで通り何事も無く笑いあっていた二人に戻りたい。

「忘れる?テキトー?」
視線を斜め下に固定したまま、猿野は呟いた。
「テキトーな気持ちで、こんな事できると思うかよ」
「・・・っ」
「テキトーじゃないんだよ。好きなんだよ」
「あまく、に」
「お前といるほうが気楽でいいと思ってたけど、余計に辛くなっちまった・・・なんでだろうな?」
猿野がそっと、自分のズボンの下のふくらみを両手で包んだ。
「なんで、こんな、なっちまうんだろう」
「天国・・・」
「お前なのに」
「あ・・・」
「なんでお前と、こんな事したいんだろぉ・・・なぁ?」
「・・・あま」
沢松が猿野の頬に伸ばした手は、寸前ところで空を切った。
猿野が先に沢松を抱きしめていたから。
それは今日初めて、あたたかいと感じることのできた猿野の感触だった。

劣情の嵐は過ぎ去ったと、感じた。
しかしそれは間違いだった。台風の目に入っただけだったのだ。

頬に触れ損ねた沢松の手が猿野の背に回されようとした時、
沢松の背中は床に押しつけられた。
固くざらついたカーペットの感触。
行き場を失った手は、所在無く天井に向かって伸ばされたまま。
突如切り替わった視点と急転した状況を沢松が理解し終わる前に
首筋に顔をうずめた猿野に耳を舐められた。
「ひぁっ!」
その不意打ちで湧き上がった怒りと恐怖と、ずっとくすぶっている猿野への想い。
ぐちゃぐちゃに混ざり合った心が、沢松の抵抗を鈍らせる。
それでも沢松は、さっき猿野を抱きしめかけた手を使って
自分にのしかかるその身体を懸命に引き剥がそうとした。
そんな必死さを踏みにじるように猿野はTシャツの中に手を入れて、
胸の敏感な部分をなぶってくる。
その動作にはさっきまでの躊躇も遠慮もない。
「ん、ぅ」
ぴりぴりと背骨を走る電気のような痛みと感覚に思わず漏れる声。
しかし痛みの裏に確かに快感を伴ってきているのが解る。
しかもそれはだんだんと大きく。
下半身がうずいた。
自分の上で動くたびに擦り付けられる猿野の下半身も
同じように形を変えているのがわかる。

『なんで、こんな、なっちまうんだろう』

猿野の言葉を思い出す。
本当に、どうしてこんなことに。

「ア、なぁ天国、オレ、どうすればい・・んだよ?」
耐え切れず沢松は猿野に問う。
抵抗の手はとうとう力尽き、ぱたりとカーペットに落ちた。
涙声で紡がれたその言葉に、猿野は胸をまさぐっていた手を止める。
首筋に埋まっていた顔も上げ、沢松の目をじっと見下ろした。
「・・・ヤなら死ぬ気で抵抗すればいいだろ」
そして猿野は、またその目をそむける。
「オレも、もうどうしていいかわかんねぇよ。ただ、お前と、こういうことしたい・・・」
「だから、なんなんだよソレ・・・もぉワケわかん−−−
その続きを拒絶するかのように、猿野は沢松の身体を反転させ
うつぶせに押さえつけた。
「う・ぐぅ、ヤだ、イヤだやめろよ・・・やだ、絶対に、嫌だ!!!」
「だったらオレを殺せよ」
強く首筋を掴まれ呻く沢松の背後で、猿野はギリ、と歯を食いしばり呟いた。


「ちくしょッ誰かオレを、止めろよぉ・・・!」