まるでそこが隔絶された空間であったかのように、
二人の音と空気をかき回す空調の音しかなかった保健室。
突然その扉が開かれた音はとても大きく響いて、辰羅川はビクリと肩を震わせた。
「キャプテン?いないんすか」
そして進入してくるその足音の主、その声は辰羅川にとって、とても聞きなれたものであった。
「あ、あ」
唇をわななかせ、声にならない声を漏らす辰羅川の唇を、
先走りで濡れた指先で愛おしそうにスッと撫で、牛尾は平然と立ち上がった。
なんのためらいも無くカーテンを開き、その間に身を滑り込ませ後ろ手で閉じる。
そしていつもどおりの微笑を浮かべ、進入者の、犬飼の方へと歩み寄っていった。
「ありがとう犬飼くん。それが辰羅川くんの荷物かい?」
「とりあえず、言われたとおり全部持ってきました」
先ほどとはまるで比べ物にならない声音。
あぁ、あの人の声は、そういえばこんな声だった。
ではいつも見せているあの姿、さっきまで自分が見ていたあの姿。
どっちが本当の姿なのだろう?
辰羅川は乱された呼吸と心を落ちつかせるため思考をめぐらせる。
しかしその思考は、衣服を整えこの場から逃げ出すことはもちろん、
犬飼に助けを求めることにさえ及ばなかった。
「辰は・・・どうスか」
「心配かい?」
二人の会話を辰羅川は舞台の上の演劇を眺めているような感覚で聞いている。
それは同じ空間にいながら、まったく別世界の出来事のよう・・・
しかし牛尾の次の一言で、完全に同じ世界に引き戻された。

「それなら少し辰羅川くんと話をしていくといい」

その言葉に対する犬飼の返事は無かった。
しかし二人分の足音がベッドの方へ近づいてくるのが聞こえる。


こっちに、来る。






シャッという小気味いい音とともに開かれたカーテンの向こう側、
いくつか並んだベッドの一つに、辰羅川は布団で顔を隠し横になっていた。
日光の届かない薄暗い空間が、辰羅川を包み隠している。
「・・・寝ているみたいだね」
微笑をたたえながら牛尾は犬飼の顔を見やった。
「じゃあカバンとかはここに置いておいてくれる?」
「あ・・・オレ、送ってきます」
「でも君、歩きだろう?辰羅川くんもまだ辛そうだから僕の家の車で送っていくよ。
 それから具合によっては明日部活を休んでもらうことになるから」
「・・・ッス」
「荷物ありがとうね。気をつけて」

黙礼をして保健室を後にする犬飼を牛尾は微笑とともに見送った。
濡れている手を小さく振りながら。
そして保健室の扉が完全に閉じられると、微笑を貼り付けたまま再びベッドへと歩み寄る。
カーテンを開け、さっきと変わらない格好で布団にうずまっている辰羅川を
しばらく無言で見下ろしていた、が
「・・・くくっ、あはははは!」
こらえきれない、とでもいう風に突如牛尾の口から笑い声が漏れ出し、
その声は静まり返っていた保健室の空気と布団にうずくまる辰羅川を震わせた。
「あせったかい?ごめんね」
辰羅川の顔に寄せられた牛尾の手は、次の瞬間
布団から飛び出した手に払われた。
思わぬ反撃に牛尾は一瞬目を見開くが、すぐにその口元は愉快そうにゆがむ。
まるで、そうでなければ愉しくない、とでも言わんばかりに。
「キャプテン・・・いったい、あなたは・・・」
ベッドから起き上がり自分を睨みつける辰羅川の視線を受け流すように
牛尾は開かれたカーテンの向こう側、ドアの方へ向けられた。
「・・・どうして犬飼くんに助けを求めなかったの?」
「え?」
「犬飼くんのこと、好きかい?」
「な、にを・・言って」
「君は今まさに僕に犯されようとしてたんだよ」
率直すぎる言葉に辰羅川は掛け布団を握り締め、顔を背ける。
「犬飼くんに助けを求めなかったのは犬飼くんにそんな姿を見られたくなかったから。
 感じている自分が許せなかったから」
「違う・・・」
「強情だね。もう一度聞くよ。君は犬飼くんを愛しているかい?」
「・・・」
「ふぅ・・・じゃあどうして助けを求めなかったのかなぁ」
牛尾は軽く手を広げ肩をすくめて見せた。
「犬飼くんは、あなたにあこがれている」
「うん?」
「犬飼くんは、あなたに大切な・・・大切だった人の影を見ている。
 それが再び壊されたら・・彼はもう野球を辞めてしまうかもしれない」
「・・・つまり君は、犬飼くんが勝手に作り出した『僕』という偶像を壊したくなかったんだ。
 ふぅん・・・必死だね。犬飼くんのために」
嘲りを含んだその声に辰羅川が牛尾を睨むが、冷たい瞳に逆に射すくめられ動けなくなってしまった。
その瞳の前では言葉を発するどころか、反論する気力から殺がれてしまう。
恐怖に強張った辰羅川の体の半分を隠していた布団を、牛尾は乱暴にはいだ。
薄っぺらい掛け布団は床に落ち、足首にひっかかったズボンと下着、裸の下半身があらわになる。
「ひ・・・」
「そんなに怖がらないで」
牛尾がベッドに上がり、辰羅川の足首に引っかかっていたズボンと下着を取り去った。
震える体を抱き寄せて、すっかり萎えてしまっている中心をまた優しく刺激する。
一度教え込まれてしまった快感に、それはすぐに反応を示した。
「あ、ぅ」
無意識に牛尾の上着を握りしめ、肩に顔をうずめる辰羅川の背中を牛尾は優しく撫ぜた。
さっきまで辰羅川を冷たい壁に押し付けていた手と同じものとは思えないほど温かなその感触に
辰羅川の肌は粟立つ。
「犬飼くんが傷つくから、このことは言えない?」
「・・・く」
いったん嬲る手を止め、辰羅川の体を離しそっと壁にもたれさせた。
ぼやけた視界の先にある牛尾の顔・・・それは優しそうな顔で冷たく笑っている。
「辰羅川くん。君は犬飼くんが一番大事だろう?
 自分の体よりも大事なんだろう?そんな愛は、そのうち全てを壊してしまうよ」
一つキスをしてから牛尾はソックスを脱ぎ、優雅とも言えるしぐさで床に落とした。
「いい加減つらそうだから解放してあげるよ。汚したくないから足でだけど」
その端正な顔に浮かんだ笑みの酷薄さに、辰羅川は心から冷えた。