窓から差し込む陽の光に起こされて最初に見た景色は、薄灰色の天井だった。

さっきまで晴天の下にいたのに・・・と辰羅川は混乱する頭で考える。
頭も体もどこかに打ち付けたようにズキズキと痛み、思考回路は鈍ってうまく働かない。
こめかみを押さえながら上体を起こし
閉ざされた空間を見回してみると、ここが学校の保険室であることが知れた。
ゆるゆると泥の中に手を入れ、何か得体の知れないものを拾い上げるように
不明瞭な記憶を掴もうとする。

うまくいかない・・・

いったい自分はどうしてこんな所にいるのだろう?
頭を軽く振り、こめかみに当てていた手を右目を覆うように移動させた。
そこでやっと、自分がメガネをかけていないことに気付く。
意識があまりに不鮮明で、視界の不鮮明さに気がつかなかったらしい。
小さくため息をつきメガネを探して辺りを見回すと
隣のベッドの上にたたまれたユニフォームとソックス、ベルトとメガネが置かれているのが
かろうじて見えた。


起き上がったときに額から落ちたらしい濡れタオルが、白い掛け布団の上にシミを作っていく。
さっきまで頭上にあったはずの晴天
薄灰色の天井の保健室
脱がされ外されて寝かされていた自分。
一つ一つピースをつなげてゆき、やっと記憶の絵が見える。
ぎらぎらぎらぎら煩いくらいに輝く太陽と滝のように流れる汗
白に覆われた後、黒く暗転した視界・・・

自分は倒れたのだ

ようやくその事実に思い至った。



煩い日差しをさえぎろうと、ベッドの上から手を伸ばし乱暴にカーテンを閉めると
部屋はいっそう灰色のトーンを強くする。
しかし野球部の練習の声だけは、締め切った窓もカーテンも関係なく侵入し続けていた。
自分はあの声の中からはじき出されてしまった・・・
そう考えると、情けなさとふがいなさで辰羅川の口から、またため息が漏れた。
両手で顔を覆い、目をそっと閉じてみる。
そうして体と心を休めてみて、ようやく自分は疲れていたのだと気付かされるのだった。



ふいにドアの開く音が聞こえ、辰羅川は手をおろし目を開いた。
部屋とベッドとをさえぎるクリーム色のカーテンに少しの隙間ができ、
ユニフォーム姿の牛尾御門が顔をのぞかせる。
「気分はどうだい?辰羅川くん」
そう言い、微笑むその完璧な笑顔は、薄暗い部屋のせいだろうか陰りが見える。
「キャプテン・・・私は」
「練習中に倒れたんだよ」
あぁやっぱり、と辰羅川は納得した。この体はやはり休息を求めていたらしい。
「お手数をおかけしました」
辰羅川は軽く頭を下げる。
「そんなことないよ。体調が悪いようだから今日はもう帰るといい」
「いいえ、練習にすぐ戻ります」
そのセリフの中ほどでかけ布団をめくり、
裸足のまま床に降りようとした辰羅川を牛尾はすっと差し出した掌で制した。
そして少したじろいだ辰羅川が動きを止めたのを確認し、
隣のベッドの、たたまれたユニフォームの隣に、ゆっくりとした動作で腰掛ける。
「・・・どうして?」
その問いはたっぷりの間をおいて発せられた。
「チームに迷惑がかかるからです」
それにそう即答した辰羅川は、今度こそベッドからおりる。
裸足が冷たい床の感触を感じ、腰を浮かせ立ち上がりかけた、その一瞬あと
普段より数倍は重く感じた身体に引っ張り込まれるように世界が白く暗転した。
「く・・・」
まるでさきほど倒れたときのリピートのように、くらくらと視界が回る。
ガクリとひざの力が抜け、倒れかけた身体が床にぶつかる寸前、両際のベッドでかろうじて支えたが
体は動かせないくらいに重く、辰羅川その間に座り込んでしまった。



冷たい壁と床に体重をあずけ、めまいが治まるのを待つ。
きつく目を閉じ、ぐるぐるまわる意識に耐える辰羅川のその頭上に
「大丈夫?」
と、牛尾は冷ややかな声を降らせた。
その声音は素足に感じる床よりも硬く冷たかったが
激しくまわる意識から振り落とされないよう、必死の辰羅川はそれに気付けない。
牛尾は座っていたベッドから腰を上げ、座り込んだ辰羅川の顔を覗き込むように
自分も床にしゃがみこんで、優しく諭すような声で言い聞かせた。
「あのね、辰羅川くん。君がいなくなることでチームに迷惑がかかるなんてこと、ないんだよ」
それはまるで、聞き分けの無い子どもにするような口調。
そっと相手の勘違いを提示するような、それでいて有無を言わせない絶対的な・・・
「・・・大丈夫です、練習に、すぐ・・戻ります、から」
「戻らなくていいよ」
口調こそ穏やかだがそれは命令と同義。
「駄目です・・・犬飼くんが」
「犬飼くんが、何」
さっきよりも強い、まるで突き放すような声に辰羅川の肩がビクリと震えた。
そして一拍遅れてポロリとこぼれてしまった本音に気付くがすでに遅い。
牛尾はその言葉をやすやすと聞き流してくれはしなかった。

「君はなんのために野球をしているの?」

容赦ない詰問が飛ぶ。
「犬飼くんのため?」
「ちっ、違います!」
自分が答える前に、それも本音を答える気などさらさら無かったのに
いきなり牛尾に核心をつかれ、頭で考える前に反射的に顔を上げて
否定の声を出した辰羅川の視線と、詰問する牛尾の視線がぶつかった。
「違うの?」
その目が少し見開き、驚きの表情を作る。
「君はチームのことより犬飼くんのことばかり考えている。
 犬飼くんが好きで、彼のためならチームも自分も二の次。
 そう思っていたのは、僕の勘違いなのかな・・・?」
全てを見透かす視線から逃れようと、辰羅川は目線をそらし
何をいっているんです・・・と呟いた。
「牛尾キャプテンともあろう方が、邪推もいいところです」
辰羅川はそこで話を打ち切るつもりで、両サイドのベッドに手をつき立ち上がろうとしたが
牛尾に両肩を押さえつけられ、また座らされた。
「全て僕の勘違いだと、君の野球は犬飼くんのためではないと
 そう言うんだね?」
「だから!さっきからそう言ってるじゃないで、す・・・か?」
そう言い終わらないうちに、今の状況にまったく似つかわしくない笑い声が聞こえた。
自分は笑ってなどいない。2分の1、あまりに簡単な消去法・・・
自分の両腕の間に顔を落としているため、辰羅川から牛尾の表情は見えなかったが
確かに聞こえてくるのは、クスクスという忍び笑い。

笑ってる・・・?

笑うたびに揺れる牛尾の肩の振動が両腕を伝って肩に伝わり
その振動はそのまま辰羅川の心臓を激しく揺さぶっていた。
目の前にいるのは、一体。
自分の知ってるキャプテンは、こんな笑い方はしない。
今の今まで『牛尾主将』という皮をかぶっていた(体裁を保っていた?)
自分の目の前にいる、これはいったい誰なのだろうと・・・
「キャプ・・・テ、ン?」
声まで震える。
「強情だなぁ・・・試してみようか」
そう言うのとほぼ同時に、肩を押さえていた牛尾の手が辰羅川の
メガネのない顔を横から覆い、口付けた。
角度を変え、深く舌が入り込もうとする。
それを拒むために身を引こうとしても、冷たい保健室の壁に阻まれ逃げ道はない。
混乱した辰羅川が距離をとろうと両手を突っぱねたが、牛尾の体は微動だにせず
酸素を求めて辰羅川が口を開けば、すかさず舌を侵入させる。
もう一度、密着した肩を渾身の力で押し返そうとするが
わざと音を立てるように舌を吸われれば、まるで一緒に力も吸い取られていくように
力がまったく入らなくなってしまった。
逃げ場などないと、思い知らされる。
それでも辰羅川は必死に抵抗を試みた。
牛尾の上着を掴んで左右に払いのけようとするがこれも無駄に終わり、
舌を噛み切ってやろうかと思い至って、実行する前にようやく解放された。
すぐに顔を背けた辰羅川が口を拭い荒い息を繰り返すのを見て
牛尾はまた楽しそうにクスクス笑う。


辰羅川の息が落ち着くより先に、笑い声を収めた牛尾は辰羅川のズボンに手をかけた。
「ちょっと何を!」
「準備」
恐怖と戸惑いを隠しきれない辰羅川をよそに牛尾の声は普段となにも変わらなかった。
冷たい壁よりも両脇のベッドよりも辰羅川の逃げ場を奪っているのは
確かに、『牛尾主将』だった。
「実験の」
ポツリと呟くように言ったその一言、そのたった一言の意味が辰羅川には分からない。
実験?この現実離れした状況の中で、なにを試そうと?
「言っただろう?君は犬飼くんのために野球をしてるんじゃないって。
 それを今から試そうと思ってね」
心の中の問いを見透かしたかのように牛尾は平然と答えた。
しかしその言葉も、この現実離れしすぎている状況を理解するにはまったく足りない。
「そ、それとこれと、どういう関係が・・・?」
「すぐにわかるよ」
ズボンのジッパーを下ろし下着の中に手を入れられる。
辰羅川の理解が追いつく前に、状況だけがどんどん進んでいく。

整然と並んだベッドの間の、狭い空間
冷たい保健室の壁
牛尾の体、重たい自分の体。
抵抗の意思はあっても、その術はすべて奪われていた。
「・・・っ」
敏感な部分に手袋で触れられ、最初に感じた感触の不快さを
辰羅川はまるで痛みをこらえるような表情で耐える。
牛尾はそれが気に入らなかったらしく、空いている手で
アンダーシャツを乱暴にめくり胸の突起を甘噛みした。
「ひっ?」
思わず漏れた声に、クス、と牛尾が笑った気配がダイレクトに胸に伝わり
辰羅川は眉間にしわを寄せ唇を噛む。
手袋の乾いた感触と舌の湿った感触、その両極端が辰羅川の思考を隅に追いやっていく。
それでも必死に踏みとどまろうと目をきつく閉じた。さらに両手で口を覆い、声を殺す。
この行為の理由を問いただすことさえ忘れ、ただひたすらに耐えた。
そんな辰羅川をよそに、ぴちゃぴちゃとわざといやらしい音を立てて執拗に胸への責めが続いている。
2人の体はこれ以上ないくらいに密着していたけれど不思議と暑さは感じなかった。
それが保健室の空調のせいなのか
今、自分の身におこっている出来事のせいなのか、辰羅川には分からなかったけれど。

不意に胸をなぞっていた牛尾の唇が離れ、下を弄んでいた手の動きも途絶えた。
辰羅川がきつく閉じていた目を恐る恐る開くと、すぐ近くに牛尾の端正な顔がある。
近すぎる距離でメガネ無しでも充分に見えてしまう、
むしろ何もさえぎるものの無い視線をダイレクトに受け止め
あわてて辰羅川は視線をそらした。
牛尾はクスリと笑い、辰羅川自身を弄ぶ手の動きを再開し、
空いている左手で口を覆う辰羅川の両手を簡単に外してあごを掴み、ムリヤリ正面を向かせた。
まったく暑くなんかない、むしろ寒気すら覚えるのに
辰羅川の頬は真っ赤に染まっている。
形を変え始めた自身からも卑猥な音が漏れ、先走りは牛尾の手袋の色を所々変えている。
「ん、あぁ、やぁ」
初めての愛撫とあごに加わる痛みで声が漏れる。
辰羅川の額に、牛尾はもう一度触れるだけのキスをした。
そうやって身体のあちこちに触れる牛尾だったが、右手だけはずっと辰羅川自身を弄び続けている。
単調な刺激も蓄積されれば、熱の吐き出し口を自然と求めてしまう。
「キャプテ・・・もぉ、やめ、汚れ、るっ」
「うん」
ギリギリの辰羅川の声を受け流すように返事をする牛尾の手は、なおも止まらず弄り続ける。
「出していいよ。でも僕の服は、汚さないでね」
充分すぎるほどに二人は密着しているのに牛尾はわざと辰羅川の耳元で囁いた。
神経を侵すようなその声と吐息が、鼓膜だけでなく身体までも震わせる。
「んぅ・・・っアァ!」
「・・・来た」
「え、あ・・・ぁ?」
達する寸前、今までどんなに乞うても止まることのなかった刺激が急に止み
牛尾の手が離され、辰羅川はそのやり場の無い快感に戸惑った。
「あ、キャプ、テ」
すがる様な声を出す辰羅川にまったくかまうことなく、牛尾は無言でカーテンを見ている。
その先には保健室のドアがあるはずだった。
「まぁいいや」
ドアに向けられていた視線がふいに悪戯を思いついた子供のようにあやしい光をたたえ、
ふたたび辰羅川に戻された。
そしてまた、愛撫を再開しようとした時

ドアを開く音が聞こえた。