猿野は沢松の部屋の家具の配置や壁の微妙な日焼け具合まで鮮明に思い浮かべることが出来る。
自分の部屋でもなく、じっくりと観察したことも無いのにそんなことができるのは、
そこが自分の部屋の次くらいに行き来している場所だから。
久しぶりに足を踏み入れた部屋は、猿野の頭の中にある部屋とピタリ重なる。
訪れなかったほんの短い間のうちに見知った部屋の様子に大きな変化などあるわけなかったけれど、
それでもよく見てみれば確実に時間の流れていた事を示すように雑誌類が何冊か増えていて、床に雑多に置かれている。
変わっているのはそれだけのようだ。部屋の様子は。
猿野は懐かしさと不安の混じったような気持ちで部屋と「いきなり来るから汚ねーぞ」と言う沢松の背中を見比べた。
見慣れた部屋の様子も沢松のこともよく知っていて、知らないところなんてもう無いみたいで・・・
それでも猿野は、自分が近くにいなかった間に何かが沢松の中に増えた事を期待している。
積み重なった雑誌の分だけでもいいから・・・オレと離れている間にお前の中にどれだけオレが増えたんだ、とか。
猿野はそんな思いを自分の胸に押し込め、気を紛らわせるために持っているコンビニのビニール袋を確認した。
増殖した気持ちは、すぐにでも行動として表れそうだったから。今はまだ早い。

ビニール袋の中には沢松がたっぷり買い込んだ菓子類とジュースが入っていてかなり重く、
細く伸びきった持ち手は指に食い込み血流を鈍くさせている。
猿野はその、袋の中身と指にかかる痛みが無駄になるのを知っていたけれど
菓子を選ぶ沢松がとても楽しそうだったからコンビニで何も言わなかった。割り勘の代金だってちゃんと払った。
それどころかオレといるのがそんなに嬉しいのかと思うと笑いがこみ上げてきて、
それと同時にどうしようもないくらい乱暴な衝動も駆け上がってきて抑えるのに苦労した。


一方沢松は部屋の様子を整えながら背中で猿野の動かない気配を感じていた。
普段は何も言わなくても遠慮なくどこにでも腰を下ろす猿野なのに、今日は部屋に入った位置でずっと立ち尽くしている。
それに疑問よりも不安を覚え、そしてちょっと久しぶりに猿野が遊びに来たくらいでそうなっている自分に辟易する。
そんな気持ちを抱えたまま散らばった雑誌を脇にどけてスペースを空け座り、
猿野にも座るように薦めた。けれど返事は返ってこない。猿野は片付けた雑誌の表紙をぼんやりを見るままだった。
「・・・天国」
いつもの自分ならそこで腹を立てるんだろうけれど、猿野のそんな態度は不安を加速させる。
猿野が何を考えてるのかまったく解らない・・・そのことを信じれず、その事実が恐ろしかった。
何か深く考え込んでいるような顔で・・・でももしかしたら、ただ不機嫌なだけかもしれない。
けれどその不機嫌の理由の分からないことが沢松をまた不安にさせる。
恋人はおろか親友ですらいられなくなる、それは沢松が一番恐れていたことだった。 

猿野はとうとう返事をしないまま沢松の隣に腰を下ろした。
しかもその場所がおかしい。いつもより身体が密着している。
「・・・」
気まずい雰囲気を感じた沢松はかすかに身をよじり、なんとか自然に見えるように距離をとろうとする。
しかし猿野は沢松の肩に額を付けるようにもたれかかってそして・・・

さみしかった

そっと呟いた。
「っ・・・」
その言い方が質問にも独り言にも聞こえるような、とても曖昧な響きだったから
沢松は少し顔を赤らめただけで何も言えない。
質問なら、気付いてくれてたことが嬉しい。独り言なら、自分と同じ事を思っていてくれたことが嬉しい。
そんなことを思ってしまったから。
自発的な思いであるようでそれは猿野に仕組まれたことだった。
戸惑うほどに求められていたのに、突然遠ざかるようになれば誰でもそうなる。
沢松の反応をこっそり観察しながら猿野は自分の思惑が成功した事を悟り、口の端を上げた。

一方沢松は自分の傍でうな垂れている猿野の思惑を知ないまま、ただひたすらに心臓が静まるのと猿野が話し出すのを待っていた。
なにを喋っていいかわからなかった。
それでも何か話そう、そしてこの沈黙を壊したい・・・そんなことを必死に考えていていた沢松にとって
次に猿野の起こした行動はまったく予想外だった。いきなり唇を塞がれたのだ。
「っ・・・ん」
漏れるのは吐息と言葉にもならない声だけだった。
コンビニで買い込んだジュースを飲みながら、菓子を食べながら、久しぶりに喋ってふざけあって・・・
望んでいたそんな時間は結局訪れないまま。それに対する文句を言う間すら与えられず、
沢松は買ったときとまったく同じ状態でカーペットの上に置かれているコンビニの袋を横目で見ながら
自分の意思とは無関係に唇をこじ開けて這入り込んでくる舌を受けていた。
腹立だしさは確かにあったが、それでも抵抗は徐々に猿野の要求に応える動きへ変わっていく。無意識に目も閉じた。
合わさった唇の端から漏れる息と呻きは、沈黙を壊すというよりはそこに寄り添うように溶け込み、薄ら寒い空気に良く馴染んだ。

猿野の手が髪ゴムを外すと沢松の身体が震えて、閉じていた目が微かに開かれる。
二人の普段のやり取りの中で髪を解くことなどまずなく、その行動はこれから始まることの合図のようなものになっていた。
こんなこと分かるくらいならいっそ髪を切ってしまおうか・・・そんなことを考えているうちに
舌が抜かれ視界に猿野の顔が映ったと思ったら、次に場面は天井に変わった。
場面の展開よりも背中に固い感触を感じたことで自分が押し倒されたのだと自覚し、
ああ、オレはいつもこんなんだ。と情けないような気持ちになる。オレは天国を止められない。
沢松は昔から猿野のやることを止めもせず背中を押すこともしなかった。ただ成り行きに任せて
成功すればよし、それで自分も面白ければなおよし、失敗すればからかいを含めつつ慰めた。
しかしそれは猿野の気持ちの対象が自分に向かなかったからこそ出来たことで、
今は猿野の失敗も成功も自分の拒否権一つで決まってしまう。この状況は沢松にとって慣れないものだ。
猿野のことを大事に思っていたからこそ自分で傷つける事を嫌った。それは拒絶を嫌うことと同じだった。
猿野は沢松のそんな気持ちを子細に知るはずなかったが、昔から感や本能のようなもので悟っていて、
その予感は最初にキスをしたあの経験で確信に変わっていた。沢松はオレを拒まない、と。
だからこそ、今も一緒に居られる。
「ひ・・・っ」
塗れた唇の端を舐め、そのまま舌は目じりを掠めて今度は耳を舐める。
舌の動きや感触よりもうごめく音が恐ろしく、沢松は首を振って抵抗した。
乱れた髪の暴れるのが邪魔臭くて猿野はいったん顔を離し、唇と押さえつけていた手を離した。
唾液が口の端を伝うのを拭う間も与えず猿野はカッターシャツの裾から手を侵入させ、沢松の胸を撫で回し始める。
終始無言で、行為の間には沢松の呻く声が聞こえるばかりだ。
「っ・・・あ」
突起を親指でつぶしたり人差し指で引っかいたりするその愛撫に声が洩れる。
猿野の掌が触れている部分、その部分だけが熱くて焦げてしまいそうだと思った。
「あ、や・・っオレは、そん・・つもりじゃ、ない!」
このまま流される前に、とさらに伸びてきた手を沢松は必死で振り払った。
「・・・へぇ?」
それを猿野は不思議そうな眼で見、そしてそれは次に試すような目つきに変わる。
上半身を起こしながら沢松は拒絶するように猿野の肩を押した。
猿野はそれに抗わず、あえて押されるままに距離をとる。本当の拒絶でないと知っている余裕と
そんな沢松の態度を楽しむ気持ちがあった。
あっさり身体を離し、自分から距離をとったくせに安堵より不安を感じているらしい沢松の表情に満足しベッドに腰掛ける。
「じゃあ今日はヤんねぇから」
言葉の続きを追いかけるように沢松はゆっくりと起き上がった。
乱れた髪の奥で不安そうな顔をしたまま猿野の言葉の続きに期待をしている。縋るような目で。



「口でしろよ」
猿野はなんでもないことのように言った。
沢松がその意味を理解できないでいると、言葉はさらに直接的になる。
「フェラ、して」
「・・・・・・・・は?」
知識として知ってはいるけれど、言葉から行為を連想するまでに長い間があった。
自分がそんなことを要求されるなんて思いもよらない・・・そんな信じられない要求を、猿野は笑いながら言った。
いつもと変わらない・・・というより二人の関係が始まる前と何も変わらない笑い方で。
それを見た沢松は愕然とした。身体が床に沈んでいくような錯覚に捕らわれる。
もし立ち上がっていたら間違いなく膝から崩れて座り込んでしまっただろう。
友情と愛情の違いが猿野には感じられないのだろうか、と沢松は思う。
臆病になって戸惑い、ギクシャクしてしまう。自分はこんなに変わってしまった・・・なのに猿野は変わらない。
「なん・・・で」
怖かった。それをしている自分を容易に想像できてしまう・・・猿野によってそう変えられた自分自身が怖かった。


ベッドに浅く腰掛けた猿野は自らベルトとホックを外しファスナーを下げた。
「こっからは沢松がして」
そう言い放ってベッドに手を付くと後ろにかかった体重でギシリとかすかな軋みが鳴る。それが聴こえるくらい静かだった。
問われた沢松がなにも答えないでいたから。
「できるだろ」
「・・・」
沢松はやはり答えない。
しかしそれはあまりのことに思考が停止してしまったからで、出来るか出来ないかを考えていたからではなかった。
考える必要も無かった。やるしかなかったからだ。
床に力なく落ちていた手がゆっくりと、見えない糸に吊られるみたいに上がっていく。
そうして手が猿野の下着にかかって、それでもその行為への恐怖や羞恥が実行を躊躇わせた。屈辱もあった。
かすかな対抗心を表すように顔をしかめ、口元もぎゅっと結んだまま・・・しかし次にはもう沢松の手は猿野に操られているみたいに
ズボンに伸ばされて、下着から猿野自身を取り出している。
自分から触れるのも目の前で見せ付けられるのも初めてで、思わず目を背けた。
直視することも耐えられないのに口に、なんて・・・でも。
決意の固まらないまま沢松はおずおずと舌を出そうとするけれど、懸命に伸ばしているつもりで舌先すら出ていない。
目が硬く閉じているのと対照的に口が中途半端に開き濡れた舌が覗いて、
先端に触れるか触れないかのその状態を猿野はもどかしい思いで見下ろしていた。
「・・・やっぱ縛っときゃよかったな」
「っ・・・」
「なぁにビビってんだよ。髪をだよ」
言葉での牽制のあと解けた髪を乱暴に掴んだ。今すぐ顔に押し付けたいけど、それでは意味がないと思い直して
心の内とはまったく逆の動作で沢松の額から生え際をそっと優しく撫であげる。
指に絡んだ髪がサラリ、と落ちた。
「天国?・・・あ」
思いもよらない猿野の行動に沢松が手を添えたまま顔を上げる。
眼が合うと一瞬驚いたような表情、そしてすぐにニヤリ、と口元がゆがんだ。
「?」
沢松が時々する、皮肉ったような笑い方だ。明らかに相手をバカにしてる笑い方だけれど猿野は沢松に
その表情を向けられるのが嫌いではなかった。自分の事を見ていると自覚できたから。
しかし、追い詰められてどうしようもなくなってるはずのこの状況で、どうしてその笑いが出てくる?
沢松が怯えを含んだ表情で自分を見上げるとばかり思っていた猿野は少なからず驚いた。
「沢ま、つ」
「ははっ・・・なぁんだ」
なにがおかしい?その疑問をぶつけようとしたとき、猿野はハッとした。自分で先に答えを見つけてしまった。
きっと表情に出ていたのだ。必死に興奮を堪えているのが。
「オレまだなにもできてない」
「・・・」
「触ってるだけなのに」
少し、ほんの少しだけ指先に力をこめる。そのわずかな刺激の変化が先端から伝わり頭で快感に変わって猿野を震わせた。
そしてその快感はそのまま正直な反応となってまた先端に返り、沢松の指を濡らす。
自分自身のからだに余裕がないのを思い知らされて、そうなるともう認めるしかなかった。
「・・・しょうがねぇだろ」
策略が崩れ、常に優位だった猿野が初めて攻められた瞬間だった。
しょうがない。沢松と離れてた間、オレだってずっと・・・
「我慢してた」
「・・・」
「我慢してたんだからよ・・・」
「・・・馬鹿だ、お前」
細い指がつい、と裏筋を撫でた。
「っア」
猿野が反応するのを楽しむように沢松は指を上下に動かし、徐々に絡める指を増やしていく。
掌がその大部分を包み込み上下に擦るたびに猿野の口からは荒い呼吸が漏れ、硬さを増した先端からは絶えず先走りがこぼれる。
沢松は自分の行動が猿野のそんな反応を引き出しているのが不思議で、同時に猿野が反応しているという事実が余裕を生んだ。
手の動きは止めないまま見上げれば、眉をひそめ歯を食いしばった猿野の顔がある。
多分、自分も同じような顔をしているのだと思った。痛いような嬉しいような苦しいような、
どれにも似ていてどれとも違う感情のはじけ飛ぶ寸前の顔。
だって同じなんだから。同じように、我慢して、さみしくて、仕方なかったんだから。
そうと知った時、沢松の理性は飛んでいた。
「天国・・・オレ」
「・・・?」
「オレも、馬鹿だ」
再びうつむいて猿野の足の間に潜り込み、伸ばした舌先は指と猿野自身の隙間へ当たった。意を決したわけではなかった。
なんの覚悟もいらなかった。ただ自然に愛撫の次の段階へ進もうとしただけ。
湿ったそこに舌先を差し込んで感じた苦味が何の味かは考えないようにして、沢松の舌はいよいよ猿野自身にしっかりと触れる。
「ア!うあ・・・ちょ・・と」
最初は竿をぺろぺろと舐めて、舌先で先走りの出てくる部分をつついてみる。
それから下へ裏筋をなぞる様に顔を横にして舐めれば、味も熱も、血管や筋の走っているのも脈打ってるのも感じられた。
「ハァ、あ・・」
沢松が猿野を感じようとすればするほど、猿野もびくびくと反応を示す。
つながっている気がして、もっと深くつながりたくて、沢松は口に含んだ。
「っ、ア」
全体を包まれて猿野は時々のけぞるようにして体を震わせた。
沢松は行為に夢中になりながらも、時々狭い視界の隅で足がぴくりと動くのを感じていた。
「ひもひいいのは」
気持ちいいのか、と聞いてるらしいが口に含んだまま普通に発音できるはずもなく、
それどころか喋ると唇の動きが微妙な刺激になって猿野をまた昂ぶらせた。
沢松もそれを分かっていて、悪戯心でわざとそうする。自分の中で猿野の中心が形を変えていくことが嬉しかった。
もっと、もっとと思うし、なんとなくだけど自分と同じ性なのだからどこが気持ちいいのかわかる気がして、
それを確かめるために先端を吸い上げながら竿の付け根を指でぐいと締める猿野がひときわ大きな声を上げた。
猿野を掌握している気がした。堪え難いよろこびだった。
「ん・・・う」
閉じれない口から喘ぎと唾液なのか違う何かなのか分からないものがこぼれ落ち続けいた。
そんなこと気にする理性はもうあまりなかったけれど、がっついてる自覚はある。
そんな自分を恥ずかしく思う羞恥心もわずかだけど、残ってる。
それでも止まらない・・・していることは奉仕なのに、一方的にされていた今までよりもずっと気持よかった。
男としてのプライドがそんなこと信じたくないと言ってる。けど、事実そうだった。
「あ、あ・・・も」
沢松の動きは激しくなって、猿野の息も上がってきている。
ひときわ大きく脈打ったのを舌が感じた。
「ぃ・・・っく!」

くる。

「―ッ、う」
予感したのとほぼ同じタイミングで猿野が達し、口の中が苦みが広がった。
そうなる前に離れようとしたのに出来なかったのは、失敗でも未練でもなく猿野が頭を押さえつけたから。
口内に侵入してくる精液から逃れようと沢松が頭を引こうとしてもそれを許さず、どろりとしたものが意思を無視して喉まで落ちてくる。
流れ落ちていくのとは逆に込み上げてくる吐き気を必死に抑えると涙の方が先に出てきた。
「! あ、ワリ」
「っ、はぁ!あ」
猿野がハッとしたように沢松の頭から手を離し、沢松がすぐ頭を引くと飲み干せなかったというよりは喉に流れ落ち切らなかった白濁が、
猿野の先端と沢松の舌先から糸を引きとろり、と滴った。
『カーペットが汚れる』
口から引き抜いて、遠くから戻ってきた理性が最初に忠告したのはそんな事で、
沢松が反射的に手のひらで口からこぼれたものを受け止めると、カーペットに落ち見えなくなるはずだったそれは手のひらに留まった。
「・・・う」
その色、感触、温度、目が離せず拭い去ることもできない。
自分のした行為の再確認を体のほとんどと、完全に戻った理性でやらされている気がした。
死ぬほど恥ずかしい・・・!
「が、は・・・あ」
口の中にはまだ残っている味と感触、それが嫌悪に変わり口を閉じることすら出来ないでいると
耐えたと思っていた吐き気や涙がまた込み上げてきて、沢松は激しくむせた。


「なぁ・・・だいじょうぶか?」
猿野が心配して声をかけるまで沢松はむせ続けた。
吐き気はだいぶ治まっていたのに止められないのは、顔を見る心の準備はまだできないからだ。
涙腺が壊れたみたいに止まらない涙を、口を拭うふりをしてべとべとの手で拭う。
猿野のした行為は、次から次へと出てくる涙をごまかすには好都合だった。
「あ・・・なんかとっさに・・・頭、押さえちまって」
涙ぐんでいるのは嘔吐感のせいだと言い訳できるだろうか・・・そんな事を考えながら
いつまでも心の準備が出来ず顔をあげられない沢松の頭上に、猿野の遠慮がちな声が降る。
「おまえ・・・エロいし」
「う、ざけん・・な」
「ごめん」
「・・・」
「ごめん沢松」
「・・・ごめん、って」
思いがけない謝罪に抜けた力に、手がぱたりとカーペットに落ちた。
「それは何への謝罪だよ。心当たりありすぎて、もう、分んねぇよ・・・」
「沢松が、一番許せないと思ったことへの詫び」
「・・・いちばん?」
沢松はうつむいたまま、乾き始めた手で口を拭うふりをして涙を拭う。また濡れた。
「もう二度とごめんだ」
いろんなものと絡まって出てくる掠れた沢松の声は猿野の望んだものだった。
一方的に触られるよりもキスよりもむりやりやられるよりも
「あんな・・・寂しい思いは、もう、二度と」
「・・・沢松」
「離れたくない、とか言っといて、なんでお前から、離れていこうとすんだよ・・・」
「え、オレは別に、そんなつもりじゃ」
「オレの事ほっといて野球部んとこ行ったり、オレは・・・めちゃくちゃ、不安で」
「・・・」
「くそ、なんなんだよ・・・オレ、いつからこんな嫉妬深くなったんだ・・・馬鹿みたい、だ。
ちゃんと、野球部の猿野天国を応援しようって、思ってるのにオレは・・・だめだ」
猿野が自分より野球部を選ぶのを見せつけられて、耐えられなかった。
そうして次は『凪ちゃんを大好きな天国のことを嫌いなってしまいそう』だと思う。
沢松はその言葉を寸前で飲み込み猿野に訴えることはしなかったが、それはわざわざ言葉にしなくても伝わると思ったからじゃない。
言葉に出してしまうことでその感情から逃れられなくなりそうだったし、何より自分の中のそんな汚い感情を猿野に知られたくなかったから。
その芽生えた感情に、猿野は気付いたわけではない。
けれど沢松の変化はなんとなく感じていて、それがただ事では無い気がして、また謝る。
「もう二度としないから」
「・・・当たり前だ。今度こんなことしたら殺してやる」
「・・・」
お前じゃあなくて野球部のやつらをな、そう言い笑う沢松を見て猿野の背中に寒気が走った。冗談だとしても・・・目が笑ってねぇ・・・!
「あともうフェラはしねぇ。お前のせいでトラウマんなった。顎だるいしマジ無理」
「えぇ!?」
「『えぇ!?』じゃねぇよ!つーかさっさとしまえ目のやり場に困るんだよ!あとティッシュよこせ!」
猿野が服装を整えティッシュを取るためにベッドから立ち上がり沢松に背を向ける。
雑多に置かれた着替えや雑誌を自分のものでもないのに遠慮なくひっくり返して
ティッシュを探しているのをぼんやり眺めていた沢松はふと、汚れた手を見る。
掌に留めていた精液はもう固まり始めて、手を振っても流れ離れていかなかった。
洗えば落ちるとわかっていても、もう綺麗にはならないと感じる。心にこびりついてしまったから。
一生・・・ではないにしろ、これからしばらくはこの感触に苛まれるのだろう・・・それでも沢松はもう一度その白濁に舌をのばす。


吐き気を誘う味をぺろり、と舐めてみる。けれど、もう苦いとは感じなかった。
猿野を繋ぎとめるためならなんでもするかもしれない自分の事を考え、それでいいと思う。
オレ達の関係は壊れたのだと思った、けど大丈夫。





オレも傷ついてない。




















こわれたかもしれないけど。