好きな女の子に振られた。オレたちがまだ中学の頃の話だ。

昼休み。オレたち以外誰も近寄らないであろう屋上への特別階段の踊り場。
昼食も喉を通らないまま沢松に涙ながらにその報告をすると(なぜか昼休みの報告が恒例になってる。放課後の残念パーティも)
「中学卒業前にして何人目だよ?記録とっとけばよかったなーギネス狙えるんじゃねー?」
そんな心無い言葉が返ってきた。
普通なら殴りつけるところだが、声を張り上げて冗談交じりにファイトを仕掛けるには、今のオレの心は重傷すぎた。
それに、これが沢松なりの慰め方だということをオレは知ってる。
「初恋は幼稚園のゆいちゃんだっけ?昔過ぎて忘れたわ」
それでもズカズカと土足で遠慮なく入り込んでくる沢松の言葉・・・正しくはその中の一つの単語のせいで、
オレは忘れたいと思ってたことを思い出しちまった。初恋・・・オレの初恋は。
「・・・ちげーよ」
八つ当たりの気持ちで吐き捨てると、違うのかよ!?前にまだいるのかよ?と呆れ顔で沢松は笑う。
笑いながらオレの初恋を忘れたと言ってるが、実のところ沢松は知らないだけだ。
「オレの初恋は・・・」
自分がどんな形でオレの初恋に関わっているのかを。

・・・

幼稚園に入って最初の頃、オレは年長の連中(確か3人くらい)とケンカをした。そいつらが同じ組の子をいじめてたからだ。
いつの間にか周りにいた数人も加わってて軽い乱闘みたいになってたっけ。
思えばそれはオレが『仲間』を意識した最初のことだったかもしれない。
数人がかりで年長のヤツらにのしかかり、髪をひっぱり泣かせて蹴飛ばして追い返した。
名前も分からない仲間と、オレは勝利の笑みを交わした。

大人数でぎゃんぎゃんやってたせいで原因がうやむやになったから、ケンカを吹っかけたオレはたいして怒られずにすんだ。
いじめてたヤツらには制裁を下したし・・・正義は勝つ。
でも一緒に戦ってたやつは相手が泣き出したことと、慌ててやってきた先生にビビったのかいつの間にかどこかに消えていた。
そうしてオレは裏切りというものも知った。そして・・・
「ねぇ!」
その時感じた衝動的な気持ちは、なぜか特別強烈に覚えてる。
居ても立ってもいられなくなるというか、考える前に飛び出してた。それはきっと不純な動機だったんだろう。
「だいじょうぶ?」
だって、しゃがみ込んでるその子の手を握って立ち上がらせて
手の甲で涙を拭いているのを見て、それから名札を見てオレは初めて気付いたんだ。

え・・・おとこ・・・?

字は読めなくても名札の色で分かった。青だったから。
今更引っ込めることなんてできなくて繋がったままの手の、涙だか鼻水だかで濡れた感触を急にイヤだな、と思った。
騙されたんじゃないかと名札の色を確認して、それからもう一度顔を見る。
「・・・あ」
さっきまで涙を拭っていた方の手はだらりと下ろされていて顔全体が見えて、
涙で濡れた頬が赤くなってるその顔になんだかドキッとして、いけないものを見たような不思議な気持ちになったんだ。
初めての気持ちだった。子供の頃の話だから、なんて説明していいかわからないけど。
記憶が薄れてるからじゃなくて、15年生きてきた今になっても上手く言葉で説明できないんだ。
一目ぼれじゃ足りない気がする。雷に打たれたというか・・・とにかくまったく動けなくなってるオレにその子はひっくひっくとしゃくりあげながら
「ありがと」
と言った。
それを見てオレはなぜか、できるだけ傍にいてこいつを守らなきゃいけないと思ったんだっけ。
なんて名前、と聞いて返ってきた答えを聞いても、その気持ちは揺らがなかった。それどころか強くなった。

「けんご」

自分のものよりも数倍単純で分かりやすく、言いやすい男の名前。
それが女の子だと思っていた子の口から嗚咽とからまるように出てきた時の気持ちを、オレは多分一生、忘れない。



つまるところ・・・

「オレの初恋はお前」

沢松はそこでぼと、と食っていたおにぎりを落とし、開いた口はそのままにオレを見つめて固まった。
「・・・マジで?」
「マジで」
「・・・」
「・・・」
何を言うのか期待半分、不安半分で目を見つめ言葉を待ってると、沢松はあー!っと大げさな動きで額に手をやり俯いた。
「オレとしたことが、天国のボケにツッコめなかったー・・・」
と、沢松はそういうツッコミをしてちょっと深刻に落ち込んで見せた。
その後そっと顔を上げて、まぁそんな冗談言えるんなら大丈夫だな、と苦笑いする。
安心したよ、と言って顔を逸らされた。それで、もう堪らなくなってしまって

「い!?」

「あ・・・」

いつの間にか抱きしめていた。頭がぶつかるのとか、さっき沢松が落としたおにぎりの米粒が制服に付くのとか、もうお構いなしで。
理由も意味も分からなくて、そんなもんきっと無くて、それはきっと初めて沢松を見た時と同じあの衝動で・・・
「・・・やっだー!健吾ーアタイ本気だゾ?」
とっさに冗談で覆い隠した。
「やめろキモイ!」
「けんご」
久しぶりに呼ぶ下の名前はいやに新鮮な響きを持っていた。昔あんなに慣れ親しんでいたもののはずなのに。
けんご、けんご、けんご・・・ここぞとばかりに連呼すると照れた沢松にバシンと頭を叩かれて、二人で笑った。
オレの初恋の話・・・それは笑い話以外の何モノでもない。












沢松にとっては。

この歳になって、オレの中でこの思い出は複雑な形になってしまっていることに気付いた。
針みたいなものだと思う。複雑な形になって引っかかって心に刺さって、抜こうとしても絶対に抜けない。
もしかしたらオレはそれを隠すためにどんどん女の子を好きになっていったのかもしれない。失礼な話だがそう自覚してしまった。
その自覚は当たってるかもしれないし、間違ってるかもしれないけれど。
簡単に好きになって振られ、また好きになってはまた振られ・・・そうやって上から重ねていく記憶の重みのせいで、針はどんどん深く刺さっていく。
好きになって振られていないのは、後にも先にも初恋だけだ。言ってないんだから。
振られるのが怖いんじゃない。今までオレたち二人が積み上げてきたものすべてを、失うのが耐えられないんだ。
「健吾」
オレは失うコトを前提で考えている・・・だってそうだろう、壊れないまでもそれは100%形を変えてしまうだろうから。
「・・・なんだよ」
やっと、身体を離す。
呼ばれた当人はオレの心なんて知らないまま神妙な面持ちだ。
この呼び方を止めた理由をオレは、沢松が名前で呼ばれると戸惑うくらい長い間、伝えられていない。
理由をしつこく尋ねない沢松だから、今も一緒にいれる。

そんなお前に甘えて、これからも言わねぇよ。
生まれて初めてお前に教わった気持ちが、今また戻りそうになっているなんて。




「けんご」
最後にもう一回、初めて聞いた時のように特別な音になるように、名前を呼んだ。
けど正直、おしまいにできる自信がない。