「こうして練習しているといつも思い出すんですけど・・・」

ミットを貫き掌に伝わる衝撃。二人で時間を重ねるごとに強く大きく響くようになった、ボールがミットを打つ音。
それらの余韻を感じながら私は言った。
キャッチャーマスクの向こう側に苛立ちをかすかに表し制止している犬飼くんの姿がある。
返球を受けようと掲げられたグローブは、戸惑いを表すかのように所在無く宙に浮いたままだ。
マウンドとホームに見立てたこの距離で、私の呟きなど聞こえるはずも無い。
犬飼くんは私の声を聞くためというよりも、ボールが返ってこない理由を確かめるためだろう。私の方へ歩み寄ってきた。
陸橋を渡る車、そのまた向こうに浮かぶ雲、夕焼け空を飛ぶ鳥たち。そして犬飼くん。
染められていく景色の中で、犬飼くんの銀の髪だけが飲み込まれまいとオレンジを反射し、抵抗している。
その色が好きだ、と思う。近寄ってくる彼をもっとよく見ようと私はキャッチャーマスクを外した。


これまでは私が必死に追いかけて・・・いや、せめて隣を歩もうと必死だったのに
今になって彼が私の方へと歩み寄ってくる。その不思議を思う。
「どうした」
犬飼くんはいつも言葉少なで、必要最低限のことしか言わない。
ダイレクトでストレート・・・そんな言葉の選び方は彼の投げる球によく似ている。
私はそれを昔から受け止めてきた。そう昔から・・・でもこれからは・・・。
私の記憶は、さらに深く掘り下げられる。
「覚えていますか?昔、犬飼くんがまだ速球しか投げられなかった頃の事を」
少し見上げて、笑みすら浮かべて私は言った。
私の首はいつでもどんな距離でも、彼の目を見るのにちょうどいい角度を作ることが出来る。
子供の頃は同じ目線で話すことを夢見ていたのだけれど、それはもう諦めた。
不思議なことに今では同じ目線になど、なりたくないとすら思うのだ。

私と同じ、なんて・・・そんなの犬飼くんじゃない。

「私に言ったんですよ犬飼くん。新しい球を覚えたから受けてみろって」
そう、あれは努力を重ねれば確実に上達すると思っていた子どもの頃のこと。
今では努力だけではどうしようもないこともあると知っている。
大人になるとは、それに気付かないふりをするようになるということだ。
「どんな球なんですか?って私が聞いたら犬飼くん・・・なんて答えたと思います?」
彼は私の言葉に、怒りと疑問の混じったような顔で応える。
「そんな昔のこと覚えてねぇ」
あぁ、やっぱり忘れている。私の心に落胆と、それ以上に大きな喜びが生まれる。
「・・・忘れたのなら良いです」
私は答えなど期待していない。
「辰?」
二人の思い出は、あなたが忘れてしまえば私だけのものになるのだから。
「独り占め・・・です」
「辰・・・とりあえずキモイ」
「キモくて結構です!練習を再開しましょう」


あなたが忘れてしまったような、くだらない子供の頃の思い出・・・。

それが昔の私にとってどれほどの支えになっていたか、あなたはきっと知らない。
でも、今ではそれは痛みを伴うものになってしまっているのだけれど。



やっぱり思い出だけでは切なくて・・・
思い出を独り占めして、それでもあなたと共に歩む未来を夢見ている私は、強欲なのでしょうか。








  

   

***

辰羅川の問いに犬飼は「剛速球!」と答えました。君それ「すごい速球」だから球種は一緒だよ。