成人設定で(沢松社会人・辰羅川大学生) 決して広いとはいえないが、それなりの座席数を誇る居酒屋は喧騒であふれている。 その中心でワイワイやっている本日の主催者、猿野を辰羅川はジョッキを傾けながら横目で見やった。 交友関係の広さを自慢するだけあるなぁなどと考えながら、勝手に注文されたビールを一口流し込む。 懐かしい顔ぶれと会話を交わし、お約束のように近況報告をし合い、やっと落ち着いたところだった。 猿野の主催というだけあって元十二支野球部の連中が多く、猿野とは違う大学に通う辰羅川でも見知った顔が多い。 しかしその中で1人、異彩を放つ男がいた。 元野球部が大多数を占める中にいて、部外者のはずのその男はすんなりと場に溶け込んでいる。 それは今も昔も変わらない。前の開いた背広と少し弛ませたネクタイ。 呼ばれたので会社帰りにちょっと顔を出しました、という体裁。 自分が彼の立場だったら、誘われたとしても絶対に断るだろうに・・・ その如才無さはある意味才能ではないか、と辰羅川は嫌味でなく素直に感心する。 沢松健吾。 あんな風に滑り込むように溶け込むように、昔いとも容易く自分の中に入ってきた彼のことを思い出す。 あのころ辰羅川はまだ子どもで、しかし大人に成りかけでもあって・・・ その時期特有の、やり場の無い情欲のはけ口を上手く見つけられずにいた。 求めたのはどちらからだったか、そんなこともう思い出したくもない。 思い出したくないということはそれは苦い思い出で、きっと求めたのは自分からだったのだろう。 求めたのが同性だったというのが、健全な男子高生としてはいささか問題である気もするが そのやり場の無い情欲を起こさせていた原因もまた、同性だったのだから仕方ない・・・。 普通ならその悶々とした気持ちをスポーツ等にぶつけるのだろうが 辰羅川の場合、運の悪いことにそのスポーツこそが自分と相手を繋ぐものだった。 逃げ場がなかった。しょうがなかったのだ。 そうやって自分を納得させたのと同時に、舌の上でビールの苦味が広がるのを感じた。 成人したといっても急に味覚や好みが変わるはずも無く、いっこうに美味いと感じられない。 口直しにと、山と盛られた串揚げに手を伸ばそうと顔を上げたちょうどその時、 会話の切れ目をぬって猿野の隣から視線をくれていた沢松と眼があった。 二人の視線がぶつかった瞬間、沢松はすぐに視線を外し猿野に何やら話しかける。 文句を言っているらしい猿野に片手を上げながら苦笑いを返し、沢松は店を出て行った。 串揚げに伸ばされかけた辰羅川の手は無意識にテーブルの淵にかけられる。 酔いの回りかけた身体をその手で支え、その背中を追いかけるようにそっと席を立った。 ・ ・ ・ 「出て来ると思ったよ」 店からだろうか、それともこの集まり自体に?それを考えかけて、辰羅川はどうでもいいことだと思い直す。 どちらにしろ今こうして二人で向き合っていることこそが沢松の思惑通りなのだろうから。 「懐かしいな」 その独り言のような呟きは紫煙とともに沢松の口から漏れた。 店内禁煙の居酒屋の出入り口の横には喫煙者用の灰皿が置かれている。 辰羅川は何も答えず、ただ意外だという気持ちでその口元と吸殻でいっぱいの灰皿を交互に見た。 有名な赤と白のパッケージに慣れた手つきで使い終わった100円ライターを戻す沢松の手・・・ 自分を粗末にすることも、大人に見せようとする粋がりも、沢松には似合わないような気がする。 「煙草、吸うんですね」 問いかけというよりは確認の意味のその言葉に、沢松は再度煙を吐くことで答えた。 辰羅川は顔をしかめるが店内に戻ろうとはしない。黙って煙の及ばないところに移動する。 その場所は店の照明も届かないところで、辰羅川の姿は半分闇にまぎれた。 「そういうの、変わってねぇな」 「はい・・・?」 「そういう中途半端な拒絶だよ。話をする気が有るならもっとこっちに来て欲しいんだけど」 逆に居心地が悪いから、と沢松は苦笑いをしつつ灰を落とす。 「足開いて心は開かないなんて本当、中途半端で切なかったぜーオレ」 「・・・ずいぶん強引に話を展開しますね」 夜風に揺れる紺の暖簾、手動の引き戸、騒ぐ旧友たちの声。 それをバックに紫煙が空へ昇っていく。闇夜に消えていくそれが辰羅川には沢松の性格の象徴に思えた。 ふわふわとつかみどころの無い。つかもうとすれば霧散し消えていく。 「普通に会話してたらお互い絶対避ける話題じゃん。だから多少は強引にいかねぇと。・・・強引ついでにもう一つ」 沢松はすでにスペースの無い灰皿にムリヤリまだ長い煙草を押し込んだ。そして辰羅川の方へ向き直って言う。 「今ここでキスしない?」 「・・・お断りします」 あっけにとられ一瞬言葉を失ってしまったが、それを悟られまいと辰羅川はぴしゃりと言い放った。 思い出したくない話題を容赦なくぶつけてくることに怒りすら覚える。沢松はそれを受け流すようにハハ、と笑った。 「煙草が気にいらない?でもオレ、アンタといろいろしてた時から吸ってたよ。 一応気ぃ使って臭いが残んないようにしてただけ」 「・・・そうですか」 取り繕うことは上手くても嘘は下手だな、と辰羅川は呆れる。 いくら気を使っていたといえ、舌まで絡めておいて煙草の臭いに気付かないはずがない。 器用なくせにどこか抜けている沢松の思惑を辰羅川は鋭く見抜く。 「キスしよう。高校生の時みたいに」 この誘いを煙草を理由に断るなんてさせない。そう言いたいのだろう。バカだ、と思う。心底。 それにしてもどうして今更そんなことを言うのか、辰羅川にはわからなかった。 とっさに思いついた理由は「脅し」だったが、沢松がそんな事をする人間でないことは いくら心を交えなかった関係だとしてもわかる。 「どうして今更」 「・・・さぁ?思い出に浸りたいのか、それともまた関係が始まるのを期待してるのか・・・ あと腐れなく抱き合える相手がいることの魅力が、この歳になって解るようになったからね」 沢松はわざとらしくネクタイに手をやって見せた。 歳は同じでも、社会人と学生とでは大きな違いがあると見せ付けたいかのようだ。 正直そんな虚勢も肝心の背広も、あまり似合ってはいないのだけれど・・・。 辰羅川の蔑むような眼に気付いたのか、沢松はバツが悪そうに顔をゆがめ頭を掻いた。 「ではどうしてあなたは昔、私の求めに応じていたんですか。 あと腐れなく抱き合える相手のいることの魅力も解っていなかった、子どもの頃のあなたが」 「うん。子どもだったからさ・・・純粋だったんだよ」 間を持たせるように沢松は新たな1本に火をつける。キスは諦めたらしい。 「寂しそうで見てらんなかったアンタのために、なにかしてやりたかった・・・というよりも」 沢松の口元を煙草の煙が覆い隠す。その中で苦しそうに唇を噛むのがチラリと見えた。 一方、辰羅川はそれをとても意外な気持ちで聞いていた。 沢松の自分に対する想いでなく、自分が沢松にそんな風に見られていたということが。 寂しそう・・・だなんて。 「罪悪感を、植えつけたかったのかな。オレは将来アンタのこと思い出してもなんとも思わないんだけど アンタはオレに優しくされたことを思い出すとき、ちょっと痛みを感じればいいと思ってた」 そこまで言って沢松は煙草をくわえ直し深く息を吸った。先端の赤が際立ち、すぐに煙にまぎれる。 「辰羅川の心にオレがずっと残ってればいいと思ったから」 なんですって?と辰羅川は思わず聞き返していた。聞こえなかったのでなく、意味が飲み込めなかったのだ。 「汚い感情だろ?」 沢松はうつむきながら笑った。 「傷となって心の中に居続けたいなんて」 力が抜けてだらりと下がった手から、煙草の灰がはらりと落ちる。 「そんな風にどんどん汚くなってく自分に絶望した。だから卒業して会わなくなって寂しい以上に、実はほっとしたんだ」 昔、自分のありとあらゆる部分に触れた唇。そこから吐き出される言葉と紫煙。 それらが心に入り込んでいくのを感じた。煙草の臭いと同じように自分に染み付いていきそうだ。 ポツリポツリと落とされる言葉の、その響きが嫌だと辰羅川は思った。 本当に嫌だ、煙草の臭いも得体の知れないこんな気持ちも・・・。 ふぅ、と煙を含まないため息が沢松の口から洩れた。 「これって、好きってことなのかな?」 目元では泣いていて口元では笑っている。反する表情に、感情の激しい動きを見ている気がした。 なぜ今更そんなことそんな表情で言うのだろう。語尾まで震わせて卑怯だ。本当にずるい。汚い。 そのセリフも作戦の一環なのだろうか。痛みとなって居続けたい・・・汚い感情なのに、沢松のその気持ちを嬉しいと思う。 ・・・嬉しいだって?辰羅川にとって自分のその気持ちこそ驚きだった。 彼のその汚い感情が愛だとして、それを嬉しいと思う私のこの気持ちはなんなのだろう? 鼓動が早まっていくのを辰羅川は感じた。 恋じゃない、ましてや愛なんかじゃない。そんなもの彼に抱いたことないはずだ。と自分に言い聞かせる。 百歩譲ってそういう感情があったのだとしても、それはもうとうの昔に終わって枯れてしまった感情だ。 新しい何かが芽吹くはずも無い。何も無くなったはずの場所から生まれた気持ちに、辰羅川は戸惑った。 じゃあ今でなくて昔、同じ事を言われていたら自分はどうしていただろう? 今では記憶も曖昧な、その時の答えの方がすんなり出てくる気がした・・・拒絶。 でもそれは沢松を嫌いだったからじゃない。他に好きな人がいたからだ。 じゃあ今は?自分は今も今は遠いあの人のことを想っているのだろうか?その答えが出るとき沢松への答えも出てしまう。 だから辰羅川は考えることを拒み唇を噛んだ。 沈黙に支配されてしまった場を取り繕うように沢松はまだ長い煙草をもみ消し、新しい煙草を取り出した。 その歪んだパッケージを見て、その名前にまつわる話を辰羅川はふいに思い出す。 『Man always remember love because of romance only』 直訳すると『人は本当の愛を見つけるために恋をする』となる。 緩慢な服毒自殺にも似たそれに、なんとロマンチックな名前を付けるのだろう。 ・・・緩慢な、服毒自殺?辰羅川は自分のその思いつきに居たたまれなくなった。 なぜか腹が立ってしょうがなかった。瞬間、辰羅川の手は沢松の口元に伸ばされ、乱暴に煙草を払い落とした。 怯えたような表情の沢松を無視して 「んッ・・・!?」 そのまま半開きの口へ自分の唇を重ねる。 地面に転がった煙草を追いかけるように、沢松の手からライターが落ちた。 二人の間にカチャン、とライターの割れる音が響く。沢松の唇も口内も渇いていた。 その渇きを感じる辰羅川の口の中には不味い味が広がっていく。 舌を抜きたい、身を引きたいと思う自分を戒めるように辰羅川は背中に回した腕に力を込めた。 好きなのかどうか、恋だとか愛だとか、わからない。 ただ辰羅川がいま言えるのは、やっぱり煙草の臭いは嫌いだということだけ。 そして煙草の臭いは嫌いだから、この臭いが彼の『匂い』になってほしくないと思う。 やがてどちらともなく唇が離された。そのタイミングは身体が覚えていたようだ。 「び・・くりし、た」 「私もです」 辰羅川は回していた腕を外し、沢松の涙で濡れた頬を拭った。 「煙草臭いし、いい歳した大人が目の前で泣いているし」 そして降参だといわんばかりに、軽く両掌を上げて微笑んで見せる。 「これからは煙草、やめてくださいね」 流れる涙はそのままに鼻をすすった沢松は、がんばる、と呟いた。 *** 文禄様の素敵ネタを横取りして書かせていただきました。本当にありがとうございました!!!! 沢松の成人後の髪型がまっっったく想像付かなかったのでその辺の描写は省きました。 社会人設定だから髪は切ってると思うんだけど・・・うぅん?