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自分がボールにサインをする立場になるなんて思いもしなかった。
プロになって何回も経験したことだったけど、球体に文字を書くのは未だに慣れない。
だいたいボールってのは打ったり投げたりするもんだろ・・・。
「っし、出来た」
渡されたマジックにフタをして、オレが悪戦苦闘する様をニヤニヤ眺めていた沢松にお宝ごと投げ返す。
「サンキュ」
沢松はそう言いながら両手で危なげにキャッチしたマジックを床に置き、ボールに書かれた字を確認した。
心配しなくても一個しか持って来てないのにイタズラ書きなんかしない。ガキじゃあるまいし。
まだ崩して書けるほど器用じゃないから、しっかり「猿野天国」の名前がそこにはある。
沢松はそれを見てから『センセーは猿野選手とオトモダチなんだよ?』そう言っても全然信じてもらえないんだと、
ふざけた口調で嘆いた。
「だから証明」
「ショーメイねぇ・・・」
ボールへの署名が『トモダチの証明』というのも妙な気分だ。寂しさともいうのかもしれない。
オレ達の関係はそんなもんだったか・・・?
オレは自分のベッドに腰を下ろした。枕は沢松の尻の下で座布団代わりにされている。
つぶれるからヤメロと言うが沢松は聞かない。反対に『じゃあ座布団を買えよオレのために』などと言われるけど、
めったに来ない客のために練習の合間をぬって買いに行く気にはなれなかった。

ボールを天井に向かって低く投げ、受け止める・・・その動作を繰り返している沢松を
ここまで野球ボールが似合わない男も珍しいと思いながらオレは黙って眺める。
似合わないのは髪形とその指のせいだと思う。職業柄、多少手荒れはあるが細い。女爪だし。
髪なんかは学生の頃よりもさらに伸びている。今日久しぶりに会ってその長さに驚かされた。
前髪ごと上半分の髪を後ろでくくって、残りは下ろしている。黒い髪がTシャツの肩に流れている。
俯くその顔がなんだかとても疲れているように見えて、少し心配になった。
昔は逆にお前がオレのこと心配してた気がすんだけど・・・
「仕事、大変?」
楽しい話題も見つけられず分かりきってることを聞く・・・そんな会話しかできない自分に苛立った。
「いや別に?楽しいよ」
どんなに大変でも、沢松はそう答えるに決まってるのに。

「子どもってかわいいよ。オレのこと頼ってくれて、信じてくれるし・・・素直だし」
沢松は保育園で働くようになって子どもの世話に明け暮れている。
仕事は大変なんだろうと思う。少なくとも手が荒れて、髪を切りに行く時間が取れないほどには。
「このボールもさ、オレの組にプロ野球が大好きな男の子がいるから、その子にあげようと思って」
「猿野大選手は幼稚園でもヒーローなんだなー!ナハハ」
「いや別にそうでもねぇけどお前以外頼めねぇし。犬飼はいまや雲の上の人だし」
「オイ!!」
「ハハッ、冗談だよ」
ふぅ・・・と沢松はそこでため息をついた。
「実際、天国はスゲーよ。夢を叶えて、今ではチビッ子に夢を与えてんだからよ」
「・・・なんだよそれ」
オレは口ごもる。皮肉ったような口調も癇に障った。
どうして昔みたいに、どうでもいい話を続けられないんだ?
「オレにとっちゃ沢松が保父になったことのほうがびっくりだっつーの」
どうしてこんな重苦しい話になるんだろう。
「バーカ。今は保育士って言うんだよ」
「どっちでもいいだろ。そういやなんで保育士になったんだ?」
その問いに沢松は曖昧に笑って見せた。言いにくい事を言う時の顔だ。
「・・・お前の世話を焼く必要がなくなって、オレは晴れて自由の身になった。
 でもお前の世話を焼きまくってたせいか、世話焼きが癖になっちまった。今は年中子どものお相手さ」
そこまで言って、沢松は床に放置してあった温そうな缶ビールを一口飲んだ。
気を遣うなと言うのに沢松は未だにオレの実家でしか酒を買わない。
たまにここに来る時は、自分の家から結構な距離のあるこの寮まで重いビニール袋を抱えてやってくる。
「あと髪型が自由だったからかなー」
「・・・バカじゃねーの」
オレたちが会うには、なにか用事がなければ駄目になった。例えば、今日のようにサインボールが欲しいとか・・・。
当たり前に一緒にいたころにはもう戻れない。
そして昔のようにいつも一緒にいてオレの世話を焼いていた沢松も、もういない。
いや、世話を焼かせていた・・・沢松に頼りっきりだったオレが、もういなくなったのだ。

それから沢松は変わってしまったように思う。なんだかフラフラして、いつも寂しそうで、自分を大切にしなくなった。
オレがいくら沢松を必要としていると訴えても、いつも一歩引き下がった。
まるで自分の役目は終わったと言わんばかりに。自分自身のために生きるなんて思いつきもしないみたいに。
「沢松」
「なに?」
お前がそんな風になったのは、オレのせいだったのか?
オレがお前を頼りすぎて寄りかかりすぎて、そのくせ自分の足で歩けるようになって、遠ざかっていったから・・・?
「なぁ沢松・・・」
「なんだってば」
名前から先に進まないオレの言葉に沢松は力なく笑った。
オレの好きだった笑顔を、もうどのくらい見ていないだろう。
お前がオレを支えなくなっても変わらずオレにはお前が必要でとても大切だっていうのに。
どうしたらそれを実感して笑ってくれる?

昔みたいに


もし昔に戻れたら・・・




「オレが野球辞めて、凪さんとも別れて、ぜんぶ投げ出してどうでもよくなっちまったらお前はどうする?」

驚いたような顔で沢松はオレを見つめた。ボールを握った手は力なく腿の上に置かれている。
でもその瞳が今までに無い色になったのを、オレは見逃さなかった。
「オレが昔みたいにどうしようもない、いい加減なヤツになったら、お前は・・・」
答えを引き出したい・・・でも返ってきたのは沈黙。
聞くべきでなかっただろうか・・・だって無駄な質問だったから。オレにそんなことできるはずないのだから。
手放したくないものが増えすぎてしまった。近くにも、沢松の手の中にあるボールの向こうにも。
それでもお前がそれを望むのなら、オレはこの手とそのボールの向こうにあるもの全てを捨ててもいいって
そう思ってしまいそうになるんだよ。
だってそれ以外、昔のオレ達に戻れる方法が思いつかないんだ。
あの笑顔をまた見れるなら、オレは他の全てをなげうつのかもしれない。

お前が自分の存在意義をそこに見出せるなら。
『沢松がいなきゃ駄目な猿野天国』が必要ならオレは・・・

「むかしみたいに・・・?」
一瞬だけ見開かれた目も今は元に戻り、オレを映すだけだ。表情も無い。
沢松の視線は再びボールへ落ちる。そして
「ぶん殴る」
ポツリと、だけど確かな口調でそう言った。


「そんなバカなことしたら、オレは天国をぶん殴るよ」


その言葉にオレは『ごめん』と言うべきなのか『ありがとう』と言うべきなのか、わからなかった。
ただ一つ確かなことはオレ達はもう戻れないということ。
オレが全てを失くすのを一番拒むのは、他でもない沢松自身なんだから。




出かけた涙を沢松にバレないようにそっと拭った。
もう心配は、かけない・・・絶対に。










 
   

***

沢松が昔のように猿野の隣で活き活きするには猿野が駄目にならないと駄目・・・
でもそれを一番良しとしないのは他ならぬ、猿野の事を誰よりも想う沢松自身で、だから沢松の心が変わらないといつまでも不幸なままだよっていう話。
どこまでも自己犠牲。そういう風に出来上がってしまった沢松。
極論なのは解っています・・・!これも一つの未来として。

職業が保育士というのは、海斗さんの影響を超受けています・・・すいません。
BGM... LOVE PSYCHEDELICO