この言葉を言いたいと思ったことなど一度も無い。むしろ言わずに済むならそれが一番いいとすら思っていた。 傍にいることが当たり前すぎる二人なら、わざわざ言葉にする必要などないはずだから。 その意味で、犬飼がその想いを言葉にしたのは、開き始めた二人の距離を埋めるためだったかもしれない。 『唐突』ではあったけれど『勢いだけ』ではなかった。 その思いは間違いなく自分の中に昔からあって、それがポロリと転がり出てしまっただけ。 学校から家まで。二人にとってはいつもの帰り道だった。 たった一つ、いつもと違うのは、明日二人は部活を引退するということ。 たった一つだけだけれど、それはとても重要で重大な違い。 しかしだからといって、なにがどうなってそういう話になったんだ?と犬飼は自問する。 自分の口から思わず漏れたその言葉のインパクトがあまりに強すぎて そこに至るまでの過程が、頭からきれいさっぱり吹き飛んでしまった。 「辰の全てがほしい」 あろうことかそう言っていたのだ。自分は。 「わたしのすべてですか?」 憮然とした表情で辰羅川は答えた。不自然なほど自然に、二人の歩みは同時に止まる。 「それは・・・あげられるものならあげたいですけど」 暮れきった空、小さな星の瞬く下で辰羅川の顔がくしゃりとなるのを犬飼は見た。 「もうなにものこってませんよ」 もうこれ以上あげるものが無いと嘆くその顔が、とても嬉しそうに見える。 だから犬飼は思った。辰は、俺がそう言うのを待っていたんじゃないのか、と。 「それともすべてをあなたにあげ尽くした私には、もうあなたの傍にいる資格はありませんか」 ずるい。そんなこと言われたら、否定せざるを得ないじゃないか。犬飼はゆるゆると首を振る。 「一緒にいよう」 言うまでもないような気がした。辰羅川の全てを犬飼はもらってしまった。 いや、それに気付いてしまったのだ。だからもう離せないし、離れられない。辰羅川のすべては自分自身なのだ。 その言葉に照れたような、困ったような笑顔を返した辰羅川が、犬飼の手を引き、また二人は歩み始める。 帰り道と、新しく始まる道を。 体温の高い犬飼の手と、体温の低い辰羅川の手。 二つが交じり合いやがて同じ温度になることさえも、二人が一緒にいていい理由であるように思えた。