「大神さんに怖いものはないんですか?」 犬飼くんも御柳くんも、いつもの河川敷にまだ来ていなくて 早めについた私と、先に練習をしていて休憩中の大神さんとで堤防に座っていた。 私たちの身体の下でタンポポが黄色い花を咲かせていたから、多分季節は春だったんだろう。 一面の緑と黄色の上をすべるように、雲の影が流れている。 それは出会って間もないころ。 憧れのヒーローを見ているような目で大神さんをみていたころ。 自分と同じ生き物だという認識は薄く、目の前にいるのは完璧な存在であると勘違いしていたころ。 「あ?あるよ」 ひざを抱えて座っていた私よりも、かなり多くのタンポポを犠牲にし 胡坐をかいて座っていた大神さんは、あっさりと言ってのけた。 「えぇ!?なんですか?」 「誰にも言わねぇか?辰坊」 「はい!」 人差し指を口の前に立て、大神さんは笑った。 私はとてもわくわくして、胸が高鳴って。 二人だけの秘密を共有することが嬉しい、というよりも ヒーローの弱点を知ること。 子どもだった私はそっちに興味を覚えたのかもしれない。 「−−−−」 周りに誰もいないのに。春風に砂埃と車の音が時折混じるくらいのなのに。 私の耳元に口を寄せ、大きな手でメガホンを作って 大神さんはとても意外なその一言を私に伝えた。 「・・・ぼくもそれ、嫌いです」 憧れのヒーローと子どもの自分とに、初めて野球以外の共通点を発見した私は、 顔を離し照れたように笑う大神さんに少し興奮してそう言った。 「そっか、嫌いか。オレは嫌いじゃないんだなー」 「え?」 「こわい」 大神さんは少し背を丸め、胡坐をかいた腿の上に手を乗せて言った。 春風にさらわれそうなくらい、小さな声で。 「足が無くなって走れなくなるのが怖い」 今度はその掌を見つめて 「この手でボールを握れなくなるのが怖い」 そして私ではなく、誰もいない遠くを見つめて 「ゆうれいになるのが・・・」 「大神さん!」 「!」 私は思わず声をあげた。 完璧と思っていたものに、ほころびを見つけたような気がしたから。 そこから取り返しのつかないくらい壊れてしまいそうな、小さいけれど重大なほころびを。 「わりぃ、なんでもねぇよ」 大神さんは、ハッと我にかえった後、いつものように笑って大きな手で私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 まるでほころびを隠すように。 子どもの持つ少ない言葉の中から、適当なものを捜して当てはめるとしたら、 そのとき私がその大きな手に感じたものは、紛れも無く「悲しさ」だった。 だから私は必死に言った。 「ぼくは、ぼくは一生忘れません! 大神さんがゆうれいになっても、ずっと覚えてて、ずっとずっと---」 「・・・それが一番怖いかもなぁ」 「え?」 私の頭に手を乗せたまま大神さんは困ったように言った。 ちょうどその時太陽が厚い雲に覆われて、 薄い影が緑と黄色の上をすべり私たちを飲み込んだ。 走り去る音すら聞こえそうな確かさとスピードを持って、まばゆい光が翳っていく。 「ユキはあんな性格だから大丈夫だろうけど、お前らはなぁ・・・」 子どもだった私にはその言葉の意味がよく解らず なんだかとても悲しそうな、申し訳なさそうな大神さんの表情を見ても何も言えなくて。 結局、二人が来るまで私たちは無言で座っているだけだった。 私は後悔していた。 こんなこと、聞かなければよかった。 ヒーローの悲しそうな顔など見たくなかった。 きっと大神さんも見られたくなかったに違いないと、 ひざを抱え、私は泣きたいのを必死にこらえていた。 その考えこそが「子ども」の考えだと気付きもせずに。 耳をふさぐのでもなく目をそらすのでもなく 大事なのは弱さを受け入れることだったと、今なら解るのに。 大神さん、あなたには解っていたんですか。 いろんなことを予感していたんですか。 その予感は半分当たって、半分はハズレました。 いろいろあったけれど、私たちの思い出の中で あなたの存在は相変わらず大きく、輝かしい。まるで太陽のように。 ただ、二人きりのとき見たあの表情だけが、今も私の心に小さな影を落としている。 弱さを見せたヒーローに、何もいえなかった私。 ごめんなさい。 きっと、この気持ちこそがあなたの恐れていたもの。 あなたのことを思い出すときの胸の痛み。 依存 そして ざいあくかん