ゆっくりと気付かされていった・・・気付きたくなかったのに。
『どうしてそう思うようになったんだ』と自分自身に問いかけても、それには『わからない』と答えるしかない。
本当に、ワケが解らない。それだけにどうしたらいいのか猿野には見当もつかなかった。
自分を誤魔化すこともできず、ただ襲ってくるその激しい衝動のような気持ちを必死に抑えるしかなかった。
一緒にいたかったから。

すごく大事だった から。


・
・
・


「好きな人がいるんだ」

その言葉は無意識にするりと心から口からこぼれ出てしまって、猿野はハッとした。思わず顔を伏せる。
数秒間の気まずい沈黙の後、恐る恐る見上げた先の顔。
それは猿野の狼狽とは裏腹に『何を今更』という表情をしていた。
部活が無くて寂しいのかよ?と沢松は呆れたように眉を寄せ、苦笑いをして見せる。
「いまさら言われなくても知ってるよ、そんな事」
猿野はそれに何も応えない。沢松は寄せた眉はそのままで唇を噛み、身体を正面に直し再び机に向かった。


秋になって陽が落ちるのが早くなったせいか、外はすでに暗くなり始めている。
帰りのSHRが終わりガランとした1Bの教室で、沢松は学校新聞の原稿を書いている最中だった。
何事もなかったかのように手の動きを再開する沢松の仕草には、見事なほどに逡巡も動揺もない。
猿野はそれが演技なのかそうでないのか見極めようとしたが、沢松はそれを拒むように顔を伏せている。
その態度が猿野の心をさざめかせた。苛立ちに似た気持ち胸の奥でがくすぶる。
だからもう一度呟いた。今度は意識的に。揺さぶりをかけるために。
「好きな人がいるんだよ」
と。
沢松は顔を伏せたまま手を止め、シャーペンで机をコツコツと叩いた。
それが合図だったように沈黙が始まる。



焦りと疲労のなか手を動かし続ける沢松。
隣にある自分の席には座ろうとせずに、その様子をただ眺めている猿野。
見た目には、いつもの二人となんら変わり無かった。
しかし猿野の言葉のせいで二人の間の空気は微妙に違ったものになっている。
普段の二人なら会話などなくても、それは沈黙ではなかった。言葉はなくても心地よくどこかが通じ合っていた。
しかし今教室に満ちているのは正真正銘の、本物の沈黙。
その沈黙の中で沢松の右手が文章を綴っていく音が聞こえる。
猿野は相変わらずそれを眺めていた。使い込まれたシャーペンが綴る文章ではなく、沢松の手を。
制服のカッターシャツから覗く腕は猿野ほどじゃないにしても夏の名残で少し陽に焼けていた。

文化部とはいえ報道部も炎天下、駆けずり回っていたことに変わりはない。
重い機材を汗だくで背負っていたことも猿野は知っている。
自分たち野球部の活躍を伝える学校新聞の記事も読んだ。
直接そう言われたことは無いけれど、沢松が報道部に入ったのは
自分を追いかけるためだということにも、薄々気付いている。
ただ猿野は、それが自分のためだとはどうしても思えなかった。
もともと人当たりのいい沢松は他の野球部員とも親しくして
昼休み、昼食を食べるときも子津や顔見知り程度の部員と楽しそうに話をしている。
沢松が野球部員と昼食を食べるようになったのは猿野が誘ったからだった。
それなのに・・・

どうして他の野球部のヤツらとも仲良くするんだろう・・・
オレを追いかけてきたなら、オレだけ見てればいいのに。

そんなことを考えてしまう。
そして猿野はそんな自分に腹が立った。
バカみたいだと、頭では理解できているのに心は納得しない。
嫉妬している。でも何にかはわからない。どうしてそんな感情があるのかすらも・・・

「っし、できた!」
「!」
猿野の思考は気まずい沈黙を振り払うような明るい声でかき消された。
「はぁ〜・・・やっと終わった」
待たせてワリーな、と沢松は片手を顔の前で立てて謝った。
沢松が自分から折れたのは、部活の無い猿野を待たせているという負い目もあったからかもしれない。
部室でなく教室で原稿を書いていたのも自分を待つ猿野を一人にするのが忍びなかったからだ。
カメラなど高価な機材が保管されている報道部の部室には、原則として部員以外の生徒は入れない。
「帰ろうぜ」
沢松が立ち上がるのにあわせて猿野は顔を上げる。
その視界に映った外の景色は、いつの間にかすっかり夜のものだった。
窓ガラスにはガランとした教室と、規則正しく並んだ机と、二人の姿が映りこんでいる。
「あ、オレ先に梅さんとこ行ってくるわ」
猿野は窓ガラスの沢松から本物の沢松へと視線を移した。
「・・・なんで」
「なんでって・・・今日中に渡さねぇと急いで書いた意味ねぇだろ」
ばーか、と笑いながら沢松は引いた椅子を戻す。
「そうじゃなくて、・・・手渡しでなくてもメールとかで」
「はぁ?手書きで書いたモンをわざわざメールに打ち込めってのか?なんの作業だよソレ?」
沢松は苦笑いをしながら、苦心の末出来上がった原稿を摘み上げた。
その言葉に促されるように猿野の視線は沢松の手でヒラヒラとたなびいている原稿へ向かう。
「・・・」
「なぁ、マジでどうしたんだよさっきから・・・なんか怒ってんのか?」
沢松はいぶかしげに猿野を見た。
一方猿野の視線はさっきから、完成したばかりの原稿へ向けられている。
猿野にはそれが・・・沢松を立ち去らせる原因であるそれが、とても・・・
「まぁとにかく部室行ってくるから。帰る用意しとけよ・・・ってオイどうし---
腹の底から湧き上がってくるような苛立ちが、有無を言わさない衝動に変わった。
その衝動が、乱暴に手を突き出させる。
「っ?なに」
突如伸ばされた猿野の手に、沢松は無意識に一歩後ずさった。
身体が机に当たって、ガタ、と音を立てた。その音は二人きりの教室にやけに大きく響く。
沢松がズレた机に気を取られて一瞬目をそらした、そのスキを突いて猿野はその手から原稿を奪い取った。
「っ!オイなにする・・・」
自分の手から猿野の手へ移動した原稿を沢松は目で追う。
取り返そうとする意識はとっさには働かなかった。
しかし視線すら追いつかないうちに、原稿をしっかり掴んだ猿野の右手は下へ、左手は上へ移動して

ビリ

紙の避ける音が教室に響いた。
「え・・・?」
あまりにあっけなく、それは元の形を失ってしまった。
状況を飲み込めない沢松の声に混じってもう一度、さらにもう一度紙片を裂く音がする。
そして猿野の手から力が抜けるのと同時に、はらりはらりと床に白いものが散った。
沢松はいったいなにが起こったのかとっさには理解できず呆然としている。

「天国!!」
今までの努力が無駄になったと理解した沢松は反射的に湧き出した怒りに任せ、俯く猿野の胸元に掴みかかった。
よろりと体勢を崩しかけた猿野だが、なんなく踏ん張って沢松の手を無言で掴み返す。
そして有無を言わさない力で自分の制服から引き剥がした。
「つ・・・この、馬鹿力・・・っ」
猿野の手を振り払おうとするが、猿野は沢松の手首を掴んだまま逃がそうとしない。
二人は手を取り合って向き合う格好になっている。
「オイあまく・・・に?」
手の力はまったく弛まない。しかし
「・・さわ、ま・・つ」
沢松の名前を呼んだ猿野の声はとても弱々しいものだった。
手に加えられている力とはあまりに不釣り合いで・・・それは脚も同じ。
ガクリと膝が折れ、沢松の目の前で猿野の頭が下がっていく。
「わりぃ沢松・・ごめ」
猿野は自分の重さに耐えられなくなったかのようにゆっくり、ゆっくりと膝から床に崩れていく。
「あま、くに?・・・ちょ、なぁ」
戸惑った沢松はそれを支えようとせず、猿野の動作を真似て追いかけるようにワンテンポ遅れて床に座り込んだ。
力なくうなだれる猿野。それなのに繋いだ手の力はまだ弛むことはなかった。
手指が凝り固まってしまったかのように動かない。そのまま感覚を失っていく。
猿野はこのまま一つになることを思った。
指先から溶けて、どこからが自分の手で、どこからが沢松の手なのかわからなくなるくらいに。

触れ合う面積を増やすべく、猿野は手を引いてそっと唇を合わせた。
沢松は何も言わない。目を少し見開き、猿野の唇を受け止めている。
抵抗らしい抵抗すらしなかった。しかし受け入れることも、もちろんしていない。
無反応は抵抗よりも激しい拒絶だった。
猿野は目を見る勇気を奪われて、そのまま沢松の肩に自らの額を乗せるようにそっと抱きしめた。
沢松は恐る恐るといった風に猿野の背に腕を回す。
猿野の手はそれに反応したように沢松の制服を握り締めた。
添えられただけの沢松の手、震えるほど握り締められた猿野の手・・・それだけの差があまりにも大きかった。
これ以上近付けない、と猿野は思った。
それだけじゃない。
自分たちの間にある壁を壊して近付こうとしても、沢松はきっとするりと逃げていくのだ。

衝動の正体が、やっと解った気がした。
愛なんて綺麗で単純なものじゃない。壁を・・・友情という関係を壊したいという破壊衝動。
しかしそれは脆く弱い。壊すのが怖いから、心のどこかで壊したくないと願ってるから。
壊したら一緒にいられなくなるとわかっているから。
「天国」
耳元で沢松の声が聞こえた。
「笑い話に・・したほうが、いいんだよな?」
「・・・」
「それとも・・・」
続きを言わないことで、沢松はその選択肢を捨てた。
猿野は息を吸う。そうすることで言葉の続きを沢松の口から引き出そうとしたのかもしれない。
でも、次にその口から零れたのは
「なぁ・・・原稿、オマエが書き直すんなら許してやるよ。それをオレが家からメールで送るから」
壊れかけたものを修復する言葉だった。
それで今日は終わりだ、と振り切るように立ち上がりかけた沢松の制服を、猿野はきつく掴んだ。
「好きな人がいるんだ」
「・・・知ってるよ」
想いを遂げようとすることが、どうして壊すことに直結するのだろう。
「そんなことしてたら、いつまで経っても帰れねぇだろ?」
目の前の沢松の表情・・・それはいつもの苦笑いにも見えたし、懇願しているようにも見えた。
見てみぬふり、許容という残酷さ。
「好きな人がいるんだよ」
「・・・わかってる、から・・・な?」
沢松は猿野が自分を好きだという事に気付いていた。それに自分は応えられないという事にも。



沢松が野球部の連中と仲良くしているのを見て自覚した嫉妬。
連鎖的に気付かされた感情、それに突き動かされた衝動。
でもそんな、脆弱な破壊衝動では壊せなかった、今まで二人で築いてきた友情。
一緒にいたいから、壊させようとしない沢松。
一緒にいたいから、壊せない猿野。
『一緒にいたい』という思いは同じ。でも想いは違う。
どうしてこんなにも、近くて遠い・・・?
「っ・・・」
猿野の唇が一瞬開き、すぐに閉じられる。


言えなかった言葉はこのまま消えるけど、気持ちはきっと消えない。





好きな人がいるんだよ














目の前に






                                                         


 
   

***

海斗さんからのリクで「猿沢で猿野の片思い、もしくは嫉妬に駆られて周りが見えなくなる猿野」でした。
自分を誤魔化しきれなかった猿野と気付かないふりを選んだ沢松。

鬼ダチはそれで完結した完璧な関係だと思うのですが猿沢は・・・なんかどこまでいっても始まらない感じだと思います。
始まらないから、いつまでたっても終わらない関係なのです。
なんか好き勝手書きすぎた気がしますが・・・リクエストありがとうございました!!!


一応補足。
冒頭の猿野のセリフ、沢松は自分でなく凪さんの事だと思ってるんですけど解りづらいですかね・・・。