モミーは犬っコロといるとよく笑う。
笑う・・・というのとはちょっと違うのかもしれない、言うなれば微苦笑ってやつか。
ただ笑うってだけなのに、そこにいろんな感情が混ざり合って
あぁ、辛そうな笑顔だ、とか。
あぁ、困ったような笑顔だ、とか。
あぁ、心配そうな笑顔だ、とか。
喜怒哀楽の「喜」と別の感情が、ものの見事にぐっちゃぐちゃに混ざり合ってる。
表情だけなら、それは可愛いペットが粗相をしても本気で叱れない飼い主の笑顔そのもの
と表現できるんだけど、その心根はまったく違う。
犬っコロは・・・犬飼はモミーの隣を従順に歩いたりはしない。
容赦なく置いていくから、モミーがそれに追いつこうとして辛い努力をする。


モミーは犬っコロといるとよく笑うけど、眉間のしわも増える。
まぁ眉間のしわとメガネを割らせる回数ならオレのほうが圧倒的に上回ってるけど。
それはこの際、置いといて・・・。

ただ、ただ笑わせるだけなら、純粋な笑顔を引き出すだけならオレの方が勝てると思うんだ。
でも、モミーは犬っコロの隣ばかり並んで、オレにはそのチャレンジ権すら与えない。
無理して隣を歩くから、辛いくせに。
一緒にいられて嬉しいけど、一緒に居るための努力が辛いくせに。
嬉しいけど、同じくらい辛い思いをするから、素直に笑えないくせに。

まったくマジで素直じゃない。そこに強情さが加わるのだからタチ悪いことこの上ない。




この間
「犬っコロと一緒にいるの、辛いだろ?」って聞いたら
「つらいだけじゃありません」
って。
辛いのは否定しないもんだからオレは「モミーの隣にいる権利」一次審査に合格した気分になって
「犬っコロばっか見てるから、気付かないんだ」
・・・調子に乗った。

でもホラよく見てみろよ。オレとお前は似てるだろ?

「似てるよな、オレたち」
「・・・そうかもしれません」
二次審査合格。でも
「誰かのために野球をしてるところとか、似ていますね」
そう、それなんだ。
誰かのための「誰か」が違うから、オレはモミーの隣に並べないんだ。
「おバカな犬っコロは、ご主人のモミーが手綱を引いてやらなくちゃな!!」
おそらく何かあってヘコんでたんだろう。いつになく素直なモミーはそれに純粋な笑顔を返した。
でもそれは「喜」の笑顔じゃなくて「楽」の笑顔。




オレだったら純粋な笑顔だけ増やせるぜ。苦しい思いなんてさせない。
けど、オレに時々ほんとにたまーに向けられる「楽」の笑顔と、
微苦笑の中に混ざった、犬っころに向けられる「喜」の笑顔って違うんだよな。


もう一度言う。何度だって言える。
オレだったら辰羅川の純粋な笑顔だけ増やせる。苦しい思いなんてさせない。

辰羅川がオレの隣にくれば・・・








まぁそんなの所詮、幻想にすぎないんだけど



「喜」と「楽」の間の、「怒哀」の壁

犬っコロへの「怒」
伝わんない想いの「哀」
分厚すぎて泣けてくる。











あー、なんかむかつく。






   

***
           
猿野は辰羅川「楽」させて「楽しませる」ことはできても
一緒にいることで「喜び」を感じさせることは出来ないんです。でも犬飼はそれを我知れずやってのける。
猿野この上なく片思い。原作じゃありえないですね。