2月の真ん中の特別寒い日のこと。
オレは今、カバンに甘い匂いを忍ばせながらたっつーの背中を見つめている。
さっきからオレの足は止まることなく歩み続けているのにたっつーとの距離が縮まらないのは、2人とも同じ速度で歩いているから。
時々たっつーに駆け寄ってくる女子がいて、何か(中身は分かりきってるけど)を渡している。
たっつーの手にはすでに大小さまざまな袋があって、あぁたっつーって実はモテる?と思うとなんだか落ち込んでしまった。

「た、たっつー!」
人気の無い階段付近に差し掛かった所で決心して呼びかけると、たっつーは髪をぴょこんと跳ねさせて振り返って、驚いた顔をした。
まるでオレに呼び止められるなんて思っていなかったような様子で、
そんな顔を見ると今まで後をつけていたことをすごく申し訳なく感じてしまって、
さっきしたばかりの決心がガラガラと音を立てて崩れていきそうになる。
口がカラカラに渇くのと顔が赤くなっていくのを自覚して思わず顔を背けそうになる。
けれど「花崎くん」とオレを呼ぶたっつーから目を離せない。驚いていた顔は、今はほっとしたような笑顔になっているから。
「あ、あのさ」
そんな表情に勇気を得たオレは、あらかじめ開けてあったカバンに手を突っ込んでプレゼントを取り出そうとする・・・
けど取り出しやすい位置にしまってあったはずなのに、歩いてるうちにそれは弁当と教科書の間に入り込んでしまっていた。
せっかくもたつかない様に気をつけてたのに・・・!
たっつーが不思議そうな視線を向けているのを感じながらやっとのことでプレゼントを取り出した。
ラッピングのリボンが少しつぶれてるのに泣きそうになりながら、さりげなくそっと、掌にそれをのっけて差し出した。
「これ、あげる」
カサリ、と紙の擦れる音。え?というたっつーの声。それを包むみたいにふわりと、蜂蜜の甘い匂いが広がった。

・
・
・

2月に入った頃から街は少し慌ただしくなったみたいだ。
みんななんだかソワソワしている。男子と女子ではまったく違う気持ちなんだろうけど。
男子よりは多分、女子の方に近い気持ちでオレは一人街を歩いていた。
チョコレートの並ぶショウウィンドウに「Saint Valentine`s Day」の文字・・・そんなものばかり見せられると
自ずと考えることは好きな人のことばかりになってしまう。
いろんな形のチョコレート・・・ウィンドウを覗きながら、それを買う自分を想像してみて
チョコレートなんて贈れるわけないだろ、とよく磨かれたガラスに映る自分自身に苦笑した。
街を歩く人には、オレがとても物欲しそうに見えただろう。
でもオレには、自分が誰かにチョコをもらえるかとか、そんな期待なんて最初からなかった・・・いや嘘。
そりゃ健全な男子高生としてちょっとはあったけど・・・オレの不健全な部分は、もっと違う事を望んでたんだ。

友チョコとか言い訳してもやっぱ不自然だよな・・・と、結局その場は諦めてコートのポケットに手を突っ込んで歩き始めた。
そうやって悶々としながらピンクや赤のディスプレイの前を歩くオレの足を再び止めたのは、チョコとは違う甘い匂いだった。

そして、一度は諦めたオレの背中を押したのも、その甘い匂いだ。

・
・
・

「蜂蜜の石けんなんだって。この間ブラブラ買い物してたら偶然見つけた店にあったんだ」
たっつーこういうの好きだと思って・・・頭を掻きながら言い訳めいた事を言ってプレゼントを半ば押し付けるように渡すと
「え、私にですか?」
と、戸惑いながらも手を伸ばして受け取ってくれた。
でもその表情は明らかに困惑しているようで、オレの言い訳は終わらないうちに語尾が消えていく。
「でも、どうして?」
掌に収まる大きさの包みを胸に抱くように持ってたっつーは聞いたけど、オレは何も言えない。
だって今日はバレンタインデーなんだ。チョコレートを渡せないオレの、これは精一杯の意思表示。
その理由なんて言ったら・・・告白になっちゃうもんな・・・だから
「うん・・・まぁ、いいじゃん!」
言えない。
「いいからもらって、ね?」
今はまだ、喜ぶ顔を見せてくれるだけでいいと思うから。自分勝手でごめんね。
そんな謝罪も、やっぱり言えないんだけれど。

オレたちがかもし出す少し気まずい雰囲気の中を、時々他の生徒が通っていく。
ヒヤヒヤしたけれど、みんな暖房の無い廊下を足早に歩いていくだけでオレ達を見る人はいなかった。
たっつーはというと、いよいよ納得いかない様子でオレとプレゼントを見比べている。
会話が続かなくなってオレは居たたまれなくなって、その場を離れようと思った。
半歩下がって、「じゃあ」の「じ」を言いかけたとき、たっつーはハッと何かに気付いたような顔。
そしてオレがその表情の意味を悟る前に目尻を下げて、それこそとろけるような笑顔で

「ありがとうございます」

オレはそのまま後頭部から倒れそうになるのを必死で耐えて、
腰も引けたまま『いやいやいやおかまいなく』みたいな感じで、手を振りながら自分の教室へダッシュした。
笑顔を噛み締めながら。あぁ、マジ!マジやばい。
カバンを開けたままだったから途中で筆箱が飛び出して中身が廊下に散乱したり、
弁当の中身がぐっちゃぐちゃになってたりしたけれど、そんなことささいなことだ。だって笑ったんだ。笑ってくれたんだ。
プレゼントの理由を聞かなかったのだって、きっとオレが困ってるのに気付いたから・・・やっぱたっつーは優しいなぁ!


・
・
・

その日の放課後。チョコ責めの苦行を終えた犬飼とそれに巻き込まれた辰羅川は
両手にずっしりと重い紙袋を持ちながら、やっとのことで帰路についていた。
途中から行方をくらませていた犬飼のせいで辰羅川は行く先々で自分宛でないチョコを受け取る羽目になった。
それを見た猿野に「モミーもてもてじゃーん」とからかわれた時は、そのチョコが誰宛のものか猿野が知らなかったとしても、傷ついた。
今日果たせなかった猿野への報復は傷が癒えてからするとして・・・そんなささくれた心を救ったのが・・・
「あ、そうだ・・・見てください犬飼くんこれ」
重い紙袋を持った不自由な状態で辰羅川は自分のカバンから小さな包みを取り出した。
「今日、花崎くんにもらったんですよ」
一目見ただけでは中身の分からないそれを、犬飼は疲れきった声音で「ばれんたいんか」と言う。
さっきまでイヤと言うほど今日が何の日か思い知らされたのだ。ラッピングの施されたそれを見て導かれる答えは他になかった。
「まさか!私も最初はわからなかったんですけど、きっと遅めの誕生日プレゼントですよ。石けんですって」
遅れたから気まずくて言い出せなかったんでしょうね、そんなの全然気にしないのに・・・
辰羅川はかすかに香る蜂蜜の匂いを感じて顔をほころばせた。この石けんの作る泡の感触を想像して、今からワクワクしている様子だ。

バサリ・・・そんな辰羅川の隣で犬飼がチョコの入った紙袋を落とす。
あぁ、せっかく頂いたのにチョコレートが割れてしまうじゃないですか・・・
辰羅川は石けんをカバンにしまい、自分の荷物を地面に置いて出てしまった中身を甲斐甲斐しく拾い集め始めた。
「まぁお腹に入ってしまえば同じですけどね」
赤やピンクの派手さに当てられたのか、ポツリと毒を吐きつつも。
各々の包装紙は、黄色い歓声を上げ二人をもみくちゃにした女生徒たちを表すように煩く自己主張していて、
かえって一つ一つを没個性的にさせている。
辰羅川は花崎にもらった包みの色を思い出す。紙袋もリボンも優しいアースカラーだった。
「辰・・・」
「はい?」
拾い集める自分を見下ろしたまま犬飼が呼ぶのに、辰羅川は手を止めることなく返事をした。
ぼーっと辰羅川を見ているようだったけれど、犬飼の中にはある思いが渦巻いている。しまった、そういえば。
「オレも、誕生日忘れてた・・・わりぃ」
「そんなの、気にしませんってば」
辰羅川は拾い終わったチョコを綺麗に紙袋に収めて苦笑いとともに差し出したけれど、犬飼はそれを受け取ろうとしない。
「とりあえず・・・今週の土曜日」
やっと、褐色の手はそれに伸びる。そして自分がもらったんだから、と言う風に辰羅川の持っていた分まで奪い取るように受ける。
辰羅川の手を重さから解放するために。
「誕生祝いしよう。遅くなったけど」
「・・・っ」
「辰?」
「犬飼くん!!!」
辰羅川の感動に満ちたその声は少し震えている。犬飼がたじろぐほどに。
「嬉しいです!」
辰羅川は瞳を潤ませて、それから今日1番の笑顔を見せた。
でもそのことを花崎は、知らないほうがいいかもしれない。






花崎のプレゼント内訳・・・蜂蜜の石けん200g  1300円
             犬飼と過ごす休日   priceless